序文・隠れキリシタンの受難
堀口尚次
浦上四番崩れは、現在の長崎市の浦上地区で江戸時代末期から明治時代初期にかけて起きた大規模な隠れキリシタン〈キリスト教徒。当時のキリスト教は禁教であり犯罪行為であった〉の摘発事件である。長崎で江戸時代中期から4度にわたって発生したキリシタン弾圧事件浦上崩れの4度目。
江戸幕府はキリスト教禁止を国策とし、全国でキリスト教宣教師・信徒を徹底的に捕縛、仏教へ強制改宗させ、改宗しないものは処刑する政策をとった。もともと長崎はカトリック教会とゆかりがあり、信徒たちが多く暮らしていたが、禁教令をうけた信徒たちは隠れキリシタンとしてひそかに信仰を守り、次代へ受け継いでいくことになった。そんな長崎の隠れキリシタンたちの間には、江戸時代の初期に幕府に捕らえられて殉教したバスチャンなる伝道士の予言が伝えられていた。それは「七代耐え忍べば、再びローマからパードレ〈司祭〉がやってくる」というものであった。
慶応3年、隠れキリシタンとして信仰を守り続け、キリスト教信仰を表明した浦上村の村民たちが江戸幕府の指令により、大量に捕縛されて拷問を受けた。間もなく江戸幕府は瓦解するが、幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府の手によって村民たちは流罪とされた。
このことはキリスト教信仰の盛んな諸国から激しい非難を受けた。この頃、別件で政府使節として欧米へ赴いた遣欧使節団一行が、キリシタン弾圧が、江戸末期に締結された西洋諸国との不平等条約を改正するのに、障害となっていると判断し、その旨本国に打電通達した。これにより明治6年にキリシタン禁制は廃止され、慶長19年の全面禁教以来259年振りに、日本でキリスト教信仰が解禁されることになった。
明治6年2月24日、日本政府はキリスト教禁制の高札を撤去し、外国に対してはキリスト教解禁を声明した。ただし国内に向けては「キリスト教を解禁」したとは声明しなかった。3月14日、政府は各藩に対して捕らえられていた信徒の釈放を命令した。配流された者の数3394名、うち662名が命を落とした。生き残った信徒たちは流罪の苦難を「旅」と呼んで信仰を強くし、明治12年、故地・浦上に聖堂〈浦上天主堂〉を建てた。
