ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第377話 秋葉神社は火の神様

序文・神仏習合

                               堀口尚次

 

 秋葉(あきば)神社は、日本全国に点在する神社である。神社本庁傘下だけで約400社あるが、一説には1000社を超えるデータもある。神社以外にも秋葉山(さん)として祠や寺院の中で祀られている場合もあるが、ほとんどの祭神は神仏習合火防(ひよけ)火伏(ひぶ)の神として広く信仰された秋葉大権現現在の遠州秋葉山秋葉山本宮秋葉神社と越後栃尾秋葉山秋葉三尺坊大権現別当常安寺の二大霊山を起源とするである。一般に秋葉大権現信仰は徳川綱吉の治世以降に全国に広まったとされているが、実際には各地の古くからの神仏信仰や火災・火除けに関する伝説と同化してしまうことが多く、その起源が定かであるものは少ない。祠の場合は火伏せの神でもあるため、燃えにくい石造りの祠などが見かけられる。小さな祠であることが多く、一つの町内に何箇所も設置されている場合もある。

 総本山は二カ所あり、秋葉山本宮秋葉神社-静岡県浜松市天竜区春野領家にある神社で、秋葉大権現の起源。日本二社〈総本廟〉秋葉大権現「今の根元」といわれる。秋葉三尺坊大権現-新潟県長岡市谷内二丁目にある神社で、日本二社〈総本廟〉秋葉大権現の起源。「古来の根元」といわれる。

 また、可睡斎(かすいさい)は、静岡県袋井市久能にある曹洞宗の仏教寺院。山号は萬松山(ばんしょうざん)。本尊は聖観音(しょうかんのん)。寺紋は丸に三つの葵〈徳川家と同じ〉である。江戸時代には「東海大僧録」として三河国遠江国駿河国伊豆国曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹(かんさんさつ)〈江戸時代に関東における曹洞宗の宗政を司った3箇所の寺院〉と同等の権威を持った。遠州三山の一つ。明治6年秋葉山静岡県浜松市〉の神仏分離に伴い三尺坊大権現遷座(さんざ)〈神仏の座をほかへ移すこと〉され火防災除の寺ともなった。修行道場として僧堂を設置している。

 因みに、「秋葉」の名の由来は、大同年間に時の嵯峨天皇から賜った御製(ぎょせい)の中に「ゆく雲のいるべの空や遠つあふみ秋葉の山に色つく見えし」とあったことから秋葉山と呼ばれるようになったと社伝〈修験の伝承〉に謳(うた)われる一方「行基が秋に開山したことによる」、「焼畑に由来する」、「蝦蟇(がま)の背に秋葉の文字が浮かび上がった」などの異説もある。

 こうして秋葉信仰は、古来より火防及び火そのものに対する信仰が根本であり、町内で火災鎮護を祈る地域や消防団、火を扱う職業の参拝が多い。

 

第376話 蒸気機関車・D51

序文・大量の水が必要

                               堀口尚次

 

 蒸気機関車とは、蒸気機関を動力とする機関車のことである。

日本では Steam Locomotive の頭文字をとって、SL〈エスエル〉とも呼ばれる。また、蒸気機関車、または蒸気機関車が牽引する列車のことを、汽車とも言う。また、明治時代には蒸気船に対して陸の上を蒸気機関で走ることから、「陸(おか)蒸気」とも呼んでいた。第二次世界大戦の頃までは「汽罐車(きかんしゃ)」という表記も用いられた〈「汽罐」はボイラーの意〉。※ボイラーは、水を沸かし、湯や水蒸気をつくりだす設備や装置のこと。

蒸気機関車は湯を沸かして発生した蒸気を動力源として走行する。このため「燃料としての石炭」と「水蒸気を作るための水」が大量に必要となる。運転には、走行操作をする機関士とボイラーに水や石炭を送る操作をする機関助士の2人が必要となる。燃料と水を補給する必要があり、大型機では約100kmごとに補給が必要。そのため、駅や機関区などに水・石炭などの補給や、使用済みの石炭ガラ処理用の大型設備が必要となる。ボイラーの上部には蒸気圧が高くなりすぎたときに蒸気を逃がして圧力を下げる安全弁〈万が一の故障を考慮して必ず複数が装備される〉や、汽笛が装備されている。

 D51蒸気機関車は、日本国有鉄道国鉄〉の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。

 主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない。

 現場の機関士にも操作性の良さから人気があり「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。

 あの哀愁のある汽笛の音は、蒸気機関車の構造上必要不可欠な蒸気を逃す安全弁を利用していたのだ。明治から大正昭和初期と活躍した蒸気機関車は、SLとして今も鉄道ファンを魅了して止まないようだ。運転士もさることながら機械メンテナンスに携わる鉄道マン達の鼓動が、今も響き続けている。

 

第375話 二君にまみえた福島正則

序文・秀吉から家康へ

                               堀口尚次

 

 安土桃山時代に、尾張国海東郡二ツ寺村〈現・愛知県あま市二ツ寺屋敷〉で生まれた。母は、秀吉〈のちの豊臣秀吉〉の母〈のちの大政所(おおまんどころ)〉の妹〈秀吉の叔母〉にあたる人物。少年に成長すると、母を通じた縁で秀吉の小姓(こしょう)になる。

 賤ケ岳(しずがたけ)の戦いにおいて、一番槍・一番首として敵将を討ち取るという大功を立てて賞され、「賤ケ岳の七本槍(しちほんやり)〈秀吉方で功名を上げた七人・加藤清正などの兵〉」の中でも突出して5,000石を与えられた〈他の6人は3,000石〉。

 その後、正則は石田三成らと朝鮮出兵を契機としてその仲が一気に険悪になり、の前田利家の死後、朋友の加藤清正らと共に三成を襲撃するなどの事件も起こしている。この時は徳川家康に慰留され襲撃を翻意(ほんい)〈決意をひるがえす〉したが、その経緯から家康の昵懇(じつこん)〈親しく打ち解ける〉大名の一人となる。

 こうして関ケ原の戦いから、正則は豊臣方から徳川方につくことになった。江戸時代になってから、城の改修工事の行き違いで武家諸法度違反に問われ改易され、家督は嫡男に譲り、隠居して出家した。本人の死去の際にもいざこざがあり、福島家は一旦取り潰される。さんざんな目にあっている福島正則だが、家康との関係性を示すこんな逸話が残っている。

 『家康が重病で死の床に就くと、正則は駿府を訪れて見舞ったが、家康は「一度安芸(あき)〈正則の所領〉に帰られるがよい。将軍家〈徳川秀忠〉に不服があれば、遠慮せず、兵を挙げられるが良い」と冷たく言い放った。御前を退出した正則は「今日までご奉公に努めて来たにもかかわらず、あのような申されようは情けない限りだ」と嘆き、人目も憚(はばか)らず泣いた。それを聞いた家康は「その一言を吐き出させるために、あのように言ったのだ。」と安心したという。』

 出生地の現在の愛知県あま市では英雄視されており、明治22年発足の正則村の由来にもなっている。正則村は現在合併により消滅・地名としても残っていないが、地域には正則保育園・正則小学校が現存し、近くの大江川に架かる橋は「正則橋」と名付けられている。また、あま市二ツ寺屋敷に生誕地を示す石碑が設置されており、その近くにある菊泉禅院は正則の菩提寺である。

 私は過日、生誕地の石碑を訪ね、正則の偉功に少しだけ触れてきた。

 

第374話 命をいただくということ

序文・「いただきます」の本来の意味

                               堀口尚次

 

 テレビで「ある牛飼いの日々」というドキュメンタリー番組を観た。父や祖父の代から続く畜産を受け継いだ男性の暮らしを追っていたが、餌の配合・牛舎の清掃・体調不良の牛の治療・種付け・牛の種類などあらゆる分野において拘(こだわ)りをもって牛に接している男性の姿勢は尊敬に値(あたい)するものだった。そのままでは産業廃棄物になってしまう牛糞がまざったオガクズを、堆肥に変えて、地元の米農家の田んぼにまき、それで育った稲を牛の餌にするという循環型農業も実践していた。

 男性は「命をいただくということ」に拘っているように思えた。肉牛の畜産という立場にありながら、牛だけではなく、あらゆる動物の命をいただいて生きているのが人間であり、動物どころか、命をいただくという意味では植物でさえ同じだと男性は言う。

 番組では、数年前に世の中がBSE問題で揺れている時の、畜産業界の苦悩も取り上げていた。男性自身の牧場経営も破綻寸前に陥(おちい)り、想像を絶する葛藤があったようだった。しかし根底には、祖父から続いてきた畜産業を自分の代で終わらせてしまっていいのかという矜持みたいなものを感じた。

 番組は10年以上前にも男性の畜産業を取り上げており、当時小学生だった娘や姪(めい)が、大学生や高校生に育った今も取り上げていた。彼女らは、父親もしくは叔父さんの仕事を傍(かたわ)らで見て育ち、命をいただくことの重要さを学んでいた。

 ある日男性は、獣医になって父親を手助けしたいという大学生の娘を牛肉加工会社へ連れて行った。屠殺(とさつ)の現実は避けて通れない道であり、ましてや手塩にかけて育ててきた牛である。加工会社の社長さんが「牛は捨てるところがないんです。肉は勿論のこと、骨や皮まですべて使います。それでこそ牛に感謝ができるんです」と言っていたのが印象的だった。

 男性は肉牛の子牛を仕入れて、大きく育てて出荷する生業(なりわい)だが、それまで殺処分されてきたという、乳を出さない雄の乳牛や和牛でない種類の牛の飼育も行っている。今まで他の同業者がやらなかったということは、生産効率が低く今ままでにない苦労が付きまとうからなのだろう。そこをあえてこの男性が行う意義はなんなのだろう。多分そこには「命をいただくということ」への拘りがあるのだと思った。願わくば、食卓にあがる牛肉にその想いが届きます様に。

 

第373話 聞け万国の労働者

序文・労働者諸君!

                               堀口尚次

 

聞け万国の労働者 とどろきわたるメーデー
示威(しい)者に起る足どりと 未来をつぐる鬨(とき)の声
汝の部署を放棄せよ 汝の価値に目ざむべし
全一日の休業は 社会の虚偽をうつものぞ
永き搾取に悩みたる 無産の民よ決起せよ
今や二十四時間の 階級戦は来たりたり
起て労働者ふるい起て 奪いさられし生産を
正義の手もととりかえせ 彼らの力何ものぞ
われらが歩武の先頭に 掲げられたる自由旗を
守れメーデー労働者 守れメーデー労働者

 

 これはメーデー歌(か)という日本の労働歌。歌い出しから「聞け万国の労働者」とも呼ばれる。メーデーは、5月1日に世界各地で行われる労働者の祭典。労働者が権利を要求するために行進や集会などを行い、団結の威力を示す。本来は、ヨーロッパの伝統的な祝祭である五月祭を意味する。

 労働運動とは、資本主義社会において 資本家階級からの搾取と抑圧に反抗し、労働者が団結して自らの、労働条件の改善と社会的な地位の安定や向上の確保、政治権利の獲得などを目指すために使用者に対して行う運動である。

 映画「男はつらいよ」で寅さんが、とらやの裏の印刷工場で働く若者たちに向かって「労働者諸君!」と呼びかける場面がよく出てくるが、メーデー歌を歌いながら裏の工場へ入っていく場面もある。

 的屋(てきや)が生業(なりわい)の寅さんは、労働者の定義である「自己の労働力を提供し、その対価としての賃金や給料によって生活する者」には当てはまらず、個人事業主に当たる。しかし労働者とは資本家〈雇い主〉から見た場合の呼称であり、とらやの裏の印刷工場の若者たちは、個人事業主の寅さんから「労働者諸君」と呼ばれる筋合いはないのだ。

 それにしても、このような歌が生まれた背景には、資本家と労働者の対立構造があり、資本家の搾取から身を守るための労働運動に他ならないと感じた。労働組合が形骸化している昨今、違う形での労働運動が必要なのかも知れない。


 

第372話 勝利投手の条件

序文・先発→中継ぎ→抑え

                               堀口尚次

 

 勝利投手とは、野球などの試合において勝利チームの責任投手を指す。勝ち投手、日本の公認野球規則においては勝投手とも記述される。基本的には、自チームのある時点での得点が決勝点となるように、守備面で貢献した投手が勝利投手となる。日本の野球では、公認野球規則9.17により勝利投手は定められている。ある投手の登板中の攻撃、あるいは登板中の投手が代打または代走と交代して退いた回の攻撃で自チームがリードを奪い、しかもそのリードが試合終了まで保たれた場合、その投手が勝利投手になる。〈※「登板中」とは、先攻チームであれば勝ち越した直前の回〈裏〉を完了、後攻チームであれば勝ち越した回の表を完了することを指す〉ただし、次の場合はその限りではない。1・その投手が先発投手の場合、5イニング以上〈天災などでコールドゲームが宣告された試合で、勝利チームの守備が6イニングに満たなかった時は4イニング〉投球しなかった場合。2・その投手が援助投手の場合、投球イニングが少なくかつ勝利に効果的でなく、それに続いて登板した投手のいずれかがより勝利に効果的な投球をしたと判断される場合。

上記1.により登板中に勝ち越した先発投手が勝利投手になれない場合は、救援投手が1人であればその投手を勝利投手とする。

上記2.の救援投手の登板中に勝ち越した場合は、その投手の投球イニングが1イニング以上であれば無条件で勝利投手になる が、投球イニングが1イニング未満で、かつ前任投手の残した走者を含む2失点以上した場合は原則として勝利投手になれない。サヨナラゲームとなった場合には、最終回の表〈または延長回の表〉に登板した最後の投手は無条件で勝利投手となる。また、先攻のチームでも最終回や延長で勝ち越した回の裏をリードを保ったまま終えれば、その直前まで投げていた投手が勝利投手になる。特にこうした例についてはアウトを1つ取っただけで勝利投手となることもあり、その球数の少なさが話題となることもある〈「1球勝利投手」など〉。更に稀な例として、登板時点で既に出塁していた走者を牽制球でアウト、または盗塁失敗でアウトにしてイニングを終了させ、直後の攻撃で勝ち越すと、どの打者との対戦をも完了しないまま勝利投手となることができる。

 

第371話 サービス残業の闇

序文・闇シリーズ①

                               堀口尚次

 サービス残業とは、使用者(雇用主)が、労働者が行う時間外労働に対し本来支払うべき賃金が支払われない時間外労働の俗称。

 使用者がサービス残業を強要すれば、違法行為でありまずありえない。問題なのは、労働者が使用者の許可なく残業した場合に発生する。また、使用者が許可していない労働者の残業を黙認しているところにある。

 本来であれば、残業の手続きは2つあり、一つは使用者が労働者に命令して行うものと、もう一つは労働者が使用者に申請して許可を得た場合に行うものだ。ただ私が職場で目の当たりにしてきたケースは、残業申請をしないで労働を続ける労働者がいかに多いかということだ。その背景には、労働者側の「残業になったのは、自分の仕事能力が低いことに起因している」というパターンや、ひどいものでは使用者側からの「残業になったのは、貴方の責任だから申請は許可しない」というもので、それでサービス残業をせざるを得ない状況を作り出すという卑怯な姑息な手段にでる使用者を沢山見てきた。

 労働者が、就労時間内で仕事が完結できるようにマネージメントするのが使用者の仕事でありながら、労働者の責任にすり替えてサービス残業を黙認(半強制的)するなど言語道断である。

 これらの背景には、使用者側は、労働者の賃金待遇(評価)を握っているというところに起因していると思う。更に、使用者には残業の概念がなく(残業手当が発生しない役職が大半)常に労働者の残業時間に相当する時間を就労している、という自負みたいなものが働いている様に感じざるを得ない。

 サービス残業自己啓発の様にとらえて実施している労働者もいたが、これを使用者が黙認している時点でまったくマネージメント出来ていないと思わざるを得ない。私が見て来た現場では、サービス残業どころか、サービス出勤なんて例も山ほどあった。ただし、サービス残業やサービス出勤の労働者は、使用者にとっては助かるので、評価がいいこともある。

 単なる残業自体の削減が会社目標になり、「ノー残業Day」なんて日が設定されたりしたが、その為にサービス残業が増しているという本末転倒なことが平気で起きているのが現状だった。ノー残業Dayの日は、会社を追い出されるので、自宅での仕事が極端に増えたのだ。

 なんでもそうだが、何か起こるととりあえず目の前の体裁だけ整えようとするからこんな事が起きてしまう。物事の本質を見極めていないからだ。残業削減は大賛成だが、サービス残業の撲滅が最優先課題だ。しかしこの問題は根が深い。雑草もそうだが、根から枯らさない限り、葉や茎は枯れないのだ。