ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第100話 他人が尊重できないならここから出ていけ

序文・弱い人間と強い人間

                               堀口尚次

 

 米コロラド州にある空軍士官学校予備校の学生寮で、黒人学生を侮蔑する人種差別的な罵倒が、学生の部屋のドアについていた問題を受け、士官学校校長のジェイ・シルベリア中将は、士官学校の全校生徒と教職員を集めて、このような振る舞いはまったく受け入れられないと強い調子で話した。「他人を尊重して敬意をもって接することができないなら、出ていけ」と、厳しい口調で繰り返すシルベリア中将の訓話は、インターネットでも大きな話題となった。空軍士官学校予備校では、ただちに士官学校に入学を認められなかったものの10カ月以内に補欠入学が認められる可能性のある生徒たちが学んでいる。シルベリア中将は、以下の言葉で生徒たちを諭した。

 

「もし誰かの尊厳を尊重できないなら、ここから出て行きなさい。」

「もし性別の違いを尊重できないなら、ここから出て行きなさい。」

「どんな形であれ人を侮辱するものは、ここから出て行きなさい。」

「人種や肌の色を尊重し敬意を持てないなら、ここから出て行きなさい。」 

 素晴らしい校長。これが本物の教育者。どうしても、軍は「戦争」という部分だけを切り取られがちだが、人道的行為の方が殆どである。

 人間には、弱くて卑怯な一面がある。他人が受け入れられなくて、姑息な手段で陥(おとしい)れようとする。自分を棚に上げておいて、他人を批判したりする。相手を見て諂(へつら)ったり、見下げたりする。隣を横目で確かめてから、自分の道を決めたりする。

 しかし反面、人間には強くて勇敢な一面もある。寛大な心で人に接し、損得勘定抜きで奉仕できる。どんな人にも謙虚で、どんな時でも親切にできる。信じた道を真っ直ぐに、愚直に行動できる。困っている人を助け、自分のことはあとにすることができる。誰も見ていないのに、公共の場のゴミを拾ったり清掃をしたりすることができる。笑われてもへこたれない信念を持つ事ができる。厳しい態度で、正論で諭すことができる。

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第99話 不平士族の反乱

序文・日本最大の内戦、西南戦争の最期で、西郷隆盛は「もうここらでよかろう」といい自刃し介錯された。

                               堀口尚次

 

 佐賀の乱・神風連(しんぷうれん)の乱・秋月の乱萩の乱そして、西南戦争・福岡の変へと続くが、いずれも旧肥前藩・旧肥後藩・旧秋月藩・旧長州藩・旧薩摩藩と、幕末の薩長土肥(さっちょうどひ)といった、中心となって新政府を創り上げた藩ばかりである。廃藩置県を断行し、秩禄(ちつろく)処分をし、武士の身分を士族や卒族に変えて行ったのは他ならぬ彼らだ。討幕された旧幕府側でもなく、自分達が創った新政府に、自分達が反乱を起こした訳だから、所謂(いわゆる)内乱だ。

 秩禄処分は、かつての華族・士族の特権であった禄(ろく)=給与 を強制的に取り上げ、期限付きでわずかな利子しか受け取れない公債に替える急進的な改革であった。支配層がほぼ無抵抗のまま既得権を失ったという点で、世界史的にも稀な例とされる。士族による武力の独占的提供義務は徴兵令で失われ、廃刀令によって士族の特権と誇りも失われつつあった。士族自身も近代国家建設のため旧特権を廃止することの必要性は理解していた。一方で、旧藩主階級は廃藩置県により藩の債務から解放されたうえで、公債額の算出根拠となる家禄が旧藩収入の一割とされるなど優遇され、華族となることで様々な恩恵を与えられ、また東京居住を強制されることで旧家臣団からは切り離された。これらが、秩禄処分が極めて小さい抵抗の下で実行された理由だ。

 朝鮮出兵を巡る征韓論で、政府が紛糾し、明治六年政変で西郷隆盛薩摩藩)、江藤新平肥前藩)、板垣退助土佐藩)らが下野すると士族層に影響を与える事となった。こうして不平士族の反乱は勃発するが、政府は反乱軍の2倍以上の兵力を投入し鎮圧したが、兵数、装備、兵站など、政府軍はあらゆる面で西郷軍より有利な条件を有していたにもかかわらず、同等の戦死者数、戦傷者が発生するなど、政府の軍事的な弱さを露呈する結果ともなった。この戦いは日本のその後の富国強兵政策の礎(いしずえ)になった。また、いわゆる薩長土肥出身者による藩閥(はんばつ)を生むことにもなった。西南戦争以後、不平士族の反対運動は反乱に加担しなかった板垣らを中心に、国会開設や憲法制定を要求する自由民権運動に移行する。

 結局、新政府で揉(も)めて下野した、江藤新平前原一誠などを中心に、廃藩置県秩禄処分廃刀令・徴兵令などにより失われていった士族達の不満の火種が燻(くすぶ)っていたのだ。西郷隆盛は大将として担がれてしまったのだ。

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※旧知の仲だった二人は、ここで袂を分かつことになる。

第98話 古内東子の世界観

序文・君は笑って「いいのよ」なんて ってとこがいい。

                               堀口尚次

 

 古内東子は、「誰より好きなのに」のヒットでOLの神様と呼ばれ、女心をつかんだ歌詞で、世の女性を虜にしたシンガーソングライターですが、男である私もやられました。彼女は、まったく男心がわかっていました。その歌詞を記します。

 

ドアの向こう寒そうに君が立ってる こんな夜中に紙袋を抱えて

『幸せすぎて眠る時間も惜しい』なんて ふざけながら 

誰かを愛する強さにあふれて

 

彼の事話す君が立つキッチン 聞いているのは僕でなくてもいいみたい

慣れた手つきの君の料理は 暖かくて懐かしくて

だから余計に僕を傷つけるよ

 

お願い

恋をしてきれいになってく君を見ているのは 

辛いからもうここには来ないで 言えないよ 会いたいから

 

君が彼と喧嘩をして泣いていた時 僕はすかざず君の見方をしたけれど

君は笑って「いいのよ」なんて 僕だったら 僕だったら

君を君を悲しませたりしない

 

お願い

恋をしてきれいになってく君を見ているのは 

辛いからもうここには来ないで 言えないよ 逢いたいから

 

もう目も見られないよ 君のその瞳に映ってる僕の顔が

やさしく笑うたび 悲しすぎて

ああ この瞬間を 君といることはけして嘘じゃないのに

ああ 何もかわらない 何も届かない きっとこれからも

 

恋をしてきれいになってく君を見ているのは 

辛いからもうここには来ないで 言えないよ 逢いたいから

君のその瞳に映ってる僕の顔が やさしく笑うたび悲しすぎて

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第97話 江戸時代の義民伝説

序文・いつの時代にも「任侠道の如く、強気を挫き弱気を助く」の人がいたのだ。

                               堀口尚次

 

 義民(ぎみん)とは、民衆のため一身を捧げた人をいう。飢餓などで人々が困窮しているときに一揆の首謀者などとなって私財や生命を賭して活躍した百姓の事。主に江戸時代、村落共同体の代表として年貢の重圧による生活の困窮を領主、幕府に直訴(じきそ)や越訴(おっそ)〈再審などを求めて正規の手続きを踏まずに行う訴え〉をした人物。特に直訴は死罪とされていたため、その行為は義挙(ぎきょ)〈正義のために事を起こす事〉と賞賛された。ただし、死罪とされたのは直訴の行為そのものが理由ではなく、直訴や一揆を起こすにあたって村落共同体内部で事前に話し合いを持ったことが幕府や藩が禁じる「徒党の禁止」に該当したためである。

 佐倉惣五郎、は、江戸時代前期の下総(しもうさ)国佐倉藩領の義民として知られる人物で、身分は百姓の名主〈農村の最高責任者〉である。

領主の重税に苦しむ農民のために将軍への直訴をおこない、処刑されたという義民伝説で知られる。代表的な義民として名高いが、史実として確認できることは少ない。惣五郎の義民伝説は江戸時代後期に形成され、実録本や講釈・浪花節、歌舞伎上演などで広く知られるようになった。

 佐倉藩は新たに重税を取り立て、領民の暮らしは困窮した。全領の名主たちは郡(こおり)奉行〈地方行政官〉や国家老(くにかろう)〈城に常駐する家老〉に重税の廃止を求めたが拒絶され、さらに江戸に出て江戸藩邸に訴えても取り上げられず、惣代(そうだい)〈名主の代表〉6人が老中に駕籠訴(かごそ)=直訴 を行ったがこれも退けられた。このため惣五郎は1人で将軍に駕籠訴を行った。上野寛永寺に参詣する四代将軍の徳川家綱に直訴したという。直訴の結果、訴えは聞き届けられ、佐倉藩の領民は救われた。しかし、惣五郎夫妻は磔(はりつけ)となり、息子4人も死罪となった

 後年の社会運動家や思想家は、それぞれの立場から自らの主張の先駆者として「佐倉惣五郎」を称揚(しょうよう)=褒め称える した。幕末期から明治時代の思想家である福沢諭吉もその一人で、『学問のすゝめ』において「古来唯一の忠臣義士」としてその名を挙げている。自由民権運動家たちは民権運動の先覚者の姿を見、昭和恐慌や戦後改革の際にも新たな解釈と共に想起される事となった。

 出身地である、千葉県成田市東勝寺に祀られている。合掌。

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※直訴を決意し雪の中を江戸へ向かう惣五郎と別れを惜しむ女房と家族

第96話 ブラザー・サン・シスター・ムーン

序文・太陽も月も兄弟姉妹なのだ。タイトル曲もすごく良かった。

                               堀口尚次

 

 もう随分前だが、タイトルの映画を観て感動した。1972年のイギリス・イタリアの合作映画だ。

 日本の仏教でも同じだと思うが、この話のキリスト教に於いても、その宗教組織が大きくなると権威や威光に胡坐(あぐら)をかいて腐敗してしまい、本来持っていた宗祖の教えが薄れてくるのだろう。会社組織でも似たような事があり、巨大になりすぎた企業は、船に例えるならば、以前なら簡単に方向転換できたものが、簡単に舵(かじ)がきかなくなるのだ。

 主人公のフランチャスコは、「富(とみ)などいらない、人間に大切なのは富ではなく心です。これからはキリストのように乞食になります」と言って、親や裕福な家を捨てる。そして質素な粗末な、但し信仰心の篤(あつ)い素朴な教会を建てるが、信者を奪われた旧態依然の巨大教会からの嫌がらせを受ける事になる。

 落胆し思索した主人公フランチェスコは、ローマ教皇に謁見(えっけん)する事を決意する。拝謁(はいえつ)したフランチャスコは、始めは「教会への誓い」を述べるが、次第に本来の信仰心の高い自分に返って行き「なぜ地上に富を蓄えるのでか、天に蓄えなさい。小鳥を見習いましょう。彼らは何も持たないが、自由です。清らかです。」と少し内容は忘れてしまったが、このような趣旨の事と、現状の教会運営の在り方に対する批判の様な内容だったと思うが、権威と威光の塊であるローマ教皇や居並ぶ教会幹部を前にして意見を述べてしまう。こうして一旦は、囚われて教会から連れ出されてしまうが、ローマ教皇が連れ戻す様に指示し、戻って来たフランチャスコに対して、現状の教会運営の不備を詫び、フランチャスコの清らかで高貴な信仰心を褒め称えたのだ。そしてあろうことか、素足で汚いフランチャスコの足の指先に接吻するのであった。

 私は、キリスト教の教義は知らないが、宗教たるものが本来持つ、精神的支柱や信仰の本髄(ほんずい)と云うものは、質素で素朴で清らかなものだったのだろうと思わされた映画だった。因みに主人公のモデルは、フランチェスコ会の創設者として知られるカトリック修道士・アッシジのフランチャスコで、「裸のキリストに裸でしたがう」ことを求め、清貧(せいひん)、 悔悛(かいしゅん)〈過去の罪を悔いて、神の赦(ゆる)しを請うこと〉と「神の国」を説いた。中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりであり、カトリック教会と聖公会で崇敬される。アーメン。

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第95話 死刑と終身刑の課題

序文・今回は誤解を恐れずに書きました。「自死刑」

                               堀口尚次

 

 死刑制度がある日本と、合法的に射殺が許されている国のどちらが野蛮なんだ!?と「そこまで言って委員会」で竹田恒泰氏が叫んでいたが・・・。

2020年時点で、106カ国で全ての犯罪に対して死刑は廃止されている。死刑制度を維持している国は、83カ国有りその内の28カ国が事実上廃止している。 刑罰は応報的 〈行なった行為に対して受ける報(むく)い〉な面があるのは事実であるが、死刑が社会的存在を消し去るものであるため、死刑が近代刑罰が忌諱(きい)〈嫌がって嫌う事〉する応報的な刑罰ではないとする法学的根拠が必要とされている。一般予防説〈犯罪者に刑罰を科す目的は一般の人々の同様な犯罪を抑止することにあるという刑法学上の学説〉に従えば「死刑は犯罪者の生を奪うことにより、犯罪を予定する者に対して威嚇をなし、犯罪を予定する者に犯行を思い止まらせるようにするために存在する」事になる。特別予防説〈犯罪人に刑罰を科す目的はその犯罪人の再犯を抑止することにあるという刑法学上の学説〉に従えば、「死刑は、矯正不能な犯罪者を一般社会に復(ふく)して再び害悪が生じることがないようにするために、犯罪者の排除を行う」ということになる。しかし、より正確に「特別予防」の意味をとると、「特別予防」とは犯罪者を刑罰により矯正し、再犯を予防することを意味するため、犯人を殺してしまう「死刑」に特別予防の効果はない。仮釈放のない絶対的終身刑にも同様のことがいえる。

 一般的な死刑賛成論者は予防論と応報刑論をあげるが、応報論の延長として敵討(かたきうち)つまり、殺人犯に対する報復という発想もある。近代の死刑制度は、被害者のあだ討ちによる社会秩序の弊害を国家が代替することでなくす側面も存在する。国家の捜査能力が低い近代以前は、むしろ仇討ちを是認あるいは義務としていた社会もあり、それは被害者家族に犯罪者の処罰の責任を負わせて、もって捜査、処罰などの刑事制度の一部を構成させていたという側面もある。

  殺人などの凶悪犯罪では、裁判官が量刑を決める際に応報は考慮されている。基本的には近代刑法では応報刑を否認することを原則としているが、実際の懲役刑の刑期の長短などは被害者に与えた苦痛や、自己中心的な感情による犯行動機があるなど酌量(しゃくりょう)すべきでないなど、応報に基づいて行われている。ただし、死刑の執行方法は被害者と同様(たとえば焼死させたからといって火あぶりに処すなど)の処刑方法でなく、「人道的」な方法が取られる。

 これに対して日本では導入されていない終身刑賛成論者は、死刑には社会復帰の可能性はないが、現行刑法下における無期刑には社会復帰があるため、社会復帰のない無期懲役を導入すべきとの意見だ。また、死刑を廃止した上で導入すべきとの主張もある。但し「人を一生牢獄につなぐ刑は死刑よりも残虐な刑である」といった意見や、刑務所の秩序維持や収容費用といった面から、その現実性を疑問視する意見がある。

 これらの問題は大変デリケートであり、人権問題にも抵触する課題だと思う。

ハムラビ法典には「目には目を、歯には歯を」があり、仏教では「因果(いんが)応報(おうほう)」〈人の過去の行いが原因で、さまざまの結果を報いとして受ける事〉の教えがある。江戸時代でも、基本的に仇討(あだう)ちは御法度(ごはっと)とされていたが、忠臣蔵の四十七士も切腹を言い渡されている。殴られたら殴り返さなければ、殴られ損になってしまう事は理屈ではわかっている。近代では、この殴り返す権利を国家に任せているのだ。法治国家として、司法の判断でこの殴り返す権利を、刑罰に変えて国家として執行しているのだ。

 問題であり、死刑や終身刑の課題とされているのは、先に述べた殴り返す権利としての刑罰の量刑をどうするかという事だ。死んで償(つぐな)うのか、一生牢屋の中で死ぬまで償うのかと云う事であろう。誤解を恐れずに書くが、私の極論として、死刑と終身刑の中間として「自死による償い」という選択肢も考えられないだろうか。「すぐ殺すのか(実際には刑が確定してから時間はかかっているが)」「自らが命を絶って死んでもらうのか」「死ぬまで牢屋にいるのか」の違いである。どんな人間にも人権があるのだから、死に方も自分で選んだらどうだろうか。しいてはそれが、犯罪を犯した事への償いに成り得ないだろうか。

1、死刑・私は、すぐに絞首刑を受諾します。そしてその事で罪を償います。

2、仮称)自死刑・私は、自分で自らの命を絶ちます。そしてその事で罪を償います。

3、終身刑・私は、ここで死ぬまで罪を償います。

この三つを現在の死刑に該当する該当者に選択させたらどうだろうか。

いずれももう二度と社会復帰は出来ず、どうやって罪を償って死んでいくか、その償い方が違うが、それを償う本人に選択させる事により、「死」という究極の刑罰の方法を自ら選び、その事で罪を償うという事にならないだろうか。

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第94話 うるう年の理屈

序文・オリンピックとうるう年って関係あるんだろうか?

                               堀口尚次

 

 4年に一度のうるう年には、2月29日が存在するが、その日が誕生日の人は、「4年に1歳しか歳をとらないんだ」と思っていたが、日本の法律では、誕生日を基準とした行政手続に限り「みなし誕生日」を2月28日としている。

 「閏(うるう)」とは、暦こよみの上での日数や月数が平年より多いことを指し、この日を「閏日(うるうび)」、閏日がある月を「閏月(うるうづき)」、閏日がある年を「閏年(うるうどし、じゅんねん)」という。このうるう年は、約4年に一度訪れる。平年は365日だが、うるう年には366日になるということだ。なぜ、うるう年が設定されたのかというと、実際の季節と暦がずれてしまうためだ。

 平年を365日とする太陽暦で、地球の平均回帰年(太陽が黄道上の分点と至点から出て、再び各点に戻ってくるまでの周期のこと)は、約365.242199 日になるので、ずっと365日の暦にしてしまうと、徐々に季節と暦がずれてしまいます。そのため、ほぼ4年に一度、2月に1日を足して調節をしている。

 上記で説明した通り、地球が太陽の回りを一回りするには、約365.24219日かかる。グレゴリオ暦では、1年の平均日数が、この日数に近くなるようにうるう年を入れている。とはいっても、グレゴリオ暦法での1年の平均日数を計算すると365.2425日になので、グレゴリオ暦の1年と実際の1年との間には約0.00031日程度の差がある。そのため、数千年程度で1日のずれが生ずるはずだ。しかし、そのときにどのように修正をおこなうのかは、今のところはっきり決まっていない。

 西暦2000年、2004年、……、2016年、2020年というように4の倍数の年がうるう年になる。ところが、うるう年は4年間に1回1日を加えて差を調整するものの、実際にはこれだと加え過ぎていて、太陽の動きとずれてしまう。このずれは400年で約3日分。それを解消するために、さらにルールを加える。それが400で割り切れない100の倍数年を平年とするというものだ。つまり西暦2100年は4の倍数ですが、100で割り切れるものの、400の倍数ではないので、うるう年にはなりません。400で割り切れる2000年、2400年はうるう年となっています。まとめると、うるう年は次のようなルールで訪れます。『4の倍数になる年はうるう年・しかし、100の倍数となる場合は平年・ただし、400で割り切れる年はうるう年』とまあ複雑な仕組みだが、よく考えたものだ。

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