ホリショウのあれこれ文筆庫

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第584話 「やじ」は議場の華?!

序文・「やじ」と「罵声」は違う

                               堀口尚次

 

 やじは、他人の言動に対して非難や冷やかしの言葉を浴びせかける行為、およびその発言である。動詞化させて「やじる」という言い回しも用いられる。議会、スポーツ試合、劇場公演など様々な場で発言の合間を縫うように瞬間的に発せられるが、内容や場の礼儀によってしばしば批判され問題とされる。行為者が一人であっても継続的に大声を出し続けることで他の人々が聞きに来たのに全く話している内容が聞こえないようなシュプレヒコールで周囲の視聴阻害するような場合は「やじ」とは言わずに罵声と呼ばれ、悪意のある妨害行為だとして強く非難される。威嚇を伴うものを罵声、そうではないものをやじだとする分類もある。

 ヤジをする際には程度の低い「雑音」や「騒音」ではなく、短く鋭いセンスのいい一言であることが求められている。

 言論を生業とする政治家ならではの絶妙なヤジに対する表現として、「議会の華」「議場の華」というような言葉がある。大正9年の第43回帝国議会で、原敬内閣の大蔵大臣高橋是清が海軍予算を説明中、「陸海軍共に難きを忍んで長期の計画と致し、陸軍は十年、海軍は八年の…」と言いかけるや、三木武吉が「だるまは九年!」とヤジを飛ばした。これは、高橋是清のあだ名である「だるま」に、「達磨(だるま)大師が、中国の少林寺で壁に向かって九年間座禅し、悟りを開いた」という面壁九年の故事をかけた、機知に富んだものだった。本会議の議場は爆笑に包まれ、高橋も演説を中断して、ひな壇にいた原敬を振り返り、苦笑いした。普段から謹厳なことで知られる加藤高明濱口雄幸までが、議席で笑い声をあげたという。

 丹羽文生拓殖大学海外事情研究所助教は程度の低い「雑音」「騒音」「怒声」「罵声」のような下品な野次ではなく、議場を一瞬でピリッとさせる「寸鉄(すんてつ)人(ひと)を刺す〈短く鋭いことばで人の急所をつく〉ようなセンスのいい野次」の例としてあげた上記の三木のようなのを期待していると述べている。