ホリショウのあれこれ文筆庫

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第32話 弘法大師空海の高野山

序文・母親が詠んだ短歌から仏教の慈悲深さを学んだ。

全国に広まった「お大師様」信仰の総本山が高野山です。

                               堀口尚次

 

 「この山を焼打したる信長も 共に祀(まつ)らる奥の院墓所この短歌は、私の母親が高野山(こうやさん)を訪れた際に詠(よ)んだものだが、織田信長高野山を焼打ちしていない。信長が焼打ちしたのは比叡山だ。勘違いしたんだろうが、詠みたかった事は、仏教界の天敵である織田信長さえも、屍(しかばね)となれば分け隔てなく祀るという仏教の慈悲深さを表現したかったのだと思う。

 高野山金剛峯寺は、和歌山県にある真言宗の総本山で、弘法大師空海が開祖の密教寺院である。密教とは秘密仏教の略称で、鎌倉時代天台宗比叡山から派生した鎌倉仏教(浄土系・禅系・日蓮系)とは流れを別にする宗派だ。

 空海は、伝教大師最澄天台宗の開祖・比叡山延暦寺)と並び、平安仏教を開いた僧であり、著作家書道家としても優れ、社会事業家・教育者としての側面もある。後世には「お大師様」として半ば伝説化・神格化され、信仰の対象ともなっており、日本の仏教、芸術、その他文化全般に与えた影響は大きい。「弘法も筆の誤り」の諺(ことわざ)は有名だ。

 真言宗では「南無大師遍照金剛(なむだいしへんしょうこんごう)」と唱え、四国のお遍路さんが「同行二人」と書かれた笠をかぶって歩くのは、お大師さまと一緒に歩くという意味だ。 

 高野山の人々や真言宗の僧侶の多くにとっては、高野山奥之院の霊廟(れいびょう)において現在も空海が禅定(ぜんじょう)を続けているとされている空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、今も高野山奥之院で生きていると信じられている入定(にゅうじょう)信仰があり、「死去」「入寂(にゅうじゃく)」「寂滅(じゃくめつ)」などといわず「入定」というのはそのためである。

 私は20歳代後半に、高野山の宿坊に宿泊し、金剛峯寺や奥之院をかしこみ参拝した。密教寺院独特の多宝塔や曼荼羅(まんだら)に圧倒され、浄土宗系や禅宗系に見られない建築様式や仏具・装飾品などを興味深々に拝観した。f:id:hhrrggtt38518:20210906215025j:plain