ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1031話 ギャング「アル・カポネ」

序文・密造酒

                               堀口尚次

 

 アル・カポネ(1899年 - 1947)は、アメリカ合衆国ギャング禁酒法時代のシカゴで、高級ホテルを根城に酒の密造・販売・売春業・賭博業の犯罪組織を運営し、機関銃を使った機銃掃射まがいの抗争で多くの死者を出したことでも知られている。一方で、黒人やユダヤ人を差別しなかったことも伝えられている。頬に傷跡があったことで「スカーフェイス〈疵面(しめん)=傷のある顔〉」という通り名があった。家族は妻のメエと息子のソニーがいる。

 酒の密売については、「俺は人々が望むものを与えてきた。なのに俺に返ってくるのは悪口だけだ」と言っていた。ボクシング世界チャンピオンのジャック・デンプシーとは友人だった時期もあり、試合前には花束を贈ったりもした。デンプシーもアルのことを「最高のファンの一人」と言っていた。

 アルはその陽気な性格からマスコミにも取り上げられることが多く、自らも生活貧窮者に対する食事の無料給付の慈善事業を行うなど大衆の支持獲得に腐心した。しかしその金は汚い、もしくは違法に稼いだ金が元であった。

 アルは世の中について「他人が汗水たらして稼いだ金を価値のない株に変える悪徳銀行家は、家族を養うために盗みを働く気の毒な奴より、よっぽど刑務所行きの資格がある。この稼業に入るまでは悪徳政治家など、世の中には高価な服を着て偉そうな話し方をする悪党がこんなに多いとは知らなかった」と、自らのことは棚に置き、コーネリアス・ヴァンダービルトのインタビューで答えている。

 ギャングとは、もともとは、オランダ語やドイツ語で「行進」「行列」「通路」を意味する言葉であった。これらの言葉が港湾で使われるうちに海外へ伝わり、また意味も変遷して、船内荷役作業員・沖仲仕〈港湾労働者〉の集団を指すようになったと考えられている。現代でも、海運業界は荷役作業員のユニットの意味でギャングという言葉を用いている。

 高賃金で体力勝負の一方で、多くが日雇いであり労働災害も多い港湾・船舶の労働現場は、荒くれ者が自分たちの利益を守るために強固な集団を形成していることが多く、また、密輸などの組織的犯罪とも近縁の存在であった。そのため、アメリカの禁酒法時代に、暴力的犯罪者集団を特に「ギャング」と呼ぶようになり、以降現代で使われる暴力的犯罪集団の意味が強くなった。