ホリショウのあれこれ文筆庫

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第838話 鼠小僧

序文・義賊伝説

                               堀口尚次

 

 鼠小僧こと次郎吉(じろきち)は、江戸時代後期の盗賊。 鼠小僧次郎吉として知られる。大名屋敷のみを狙って盗みに入り、人を疵つけることもなかったことから、後世に義賊〈国家や領主などの権力者からは犯罪者とされながらも、大衆から支持される個人及びその集団〉として伝説化された。本業は鳶(とび)職といわれる。

 鼠小僧について「金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与えた」という義賊伝説がある。事実、次郎吉が捕縛された後に役人による家宅捜索が行われたが、盗まれた金銭はほとんど発見されなかった。しかし鼠小僧の記録を見ると盗んだ金銭を分け与えた事実はどこにも記されておらず、新聞記者経験もある作家の矢田挿雲は「〈盗んだ金の大半は〉衣食住の贅沢に費ひ其他は酒色遊興又は博奕(ばくよう)の資本に使ひ際立って貧民に施した形跡は無い」と義賊伝説を否定している。

 また鼠小僧は武士階級が絶対であった江戸時代に於いて、大名屋敷を専門に徒党を組むことなく一人で盗みに入ったことから、歌舞伎や時代劇などでは江戸時代における反権力の具現者のように描かれることが多い。しかし、次郎吉が大名屋敷に限って盗みに入った理由については自身で説明しており、武家屋敷は外見が厳重なばかりで、屋敷内は警備が手薄で出入りが容易あったこと、屋敷内の奥向、長局は役人たちも遠慮して入らないため、万一見とがめられても逃げるのに都合がいいことなどを挙げている。これを受け江戸学の祖として知られる三田村鳶魚は「便宜上武家屋敷を選定したのであって、決して被害者の境遇に対する思慮を有する訳ではなかったのが知れる。武家屋敷と云った処が男禁制の奥向ばかりを目掛けて這入ったのを見れば恐れず怯まぬ胆胸があったのではない」と人物像そのものにも疑問を呈している。

 一方で鼠小僧が義賊として民衆にイメージされたこのこと自体はひとつの歴史的事実であり、歴史学者の南塚信吾は『義賊伝説』などで鼠小僧について取り上げ、鼠小僧が主として大名屋敷から盗んだことについては「その理由がなんであれ、単純ではあるが意外に重要なことであろう。民衆の大名に対する潜在的不満が癒され、民衆の正義感につながる側面があったはずだからである」と述べている。