ホリショウのあれこれ文筆庫

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第753話 落武者と野伏

序文・武士対農民

 

                               堀口尚次

 

 落武者落人(おちゅうど)とは、戦乱において敗者として生き延び、逃亡する武士である。戦国時代における落武者は、法の外の者と視て成敗権を行使する落ち武者襲撃慣行で、殺したり所持品を略奪する農民による落武者狩りの対象とされた。

 戦場からの離脱中以外にも、主家が敗亡し勢力が衰微して亡命状態になった武家の一党やその臣下も落人と呼ぶ。こうした落人の有名なものに平家の落人があり、落ち延びた先の山間部などに集落を作った例もある。虚実は不明ながら近世の鉄山労働者など山間部で生活する集団の中の有力者は、「豊臣の遺臣」や「尼子の落人」など、落人の末裔を称する場合が多かった。映画「八つ墓村」は、この尼子の落武者が農民たちに殺されたことから物語が始まる。

 室町時代では、没落したり後ろ盾が無くなった公家や武家も落武者とみなされ、拠点を構えていた地域の町人に襲われる場合や失脚した武家の屋敷が略奪に合う場合もあった。他に、流刑で流刑先に移動している罪人も落武者とみなされ当然のように落ち武者狩りの対象となった。落ち武者は薄の穂にも怖ずという慣用句は怖いと思うと何にでも恐怖を感じるという意味である。

 岐阜県や長野県では落ち武者の事を「だいこう」と呼ぶ地域もある。 これは「だいゅう〈大夫〉」が訛ったものだという説が最も有力視されている。また関西の一部地域では「おちぷはあ」と呼ばれていたが、現在ではほとんどそう呼ぶことはなくなった〈差別用語とされる声があるため〉。

 野伏〈のぶし、のぶせ、野武士、野臥〉とは、中世の日本において落人や落武者を襲って武具や金品、などを奪っていた武装集団の総称である。

 野伏には山賊・武士の類も含まれていたが、その大半は一般農民だったと考えられている。中世には落武者狩りといって、流刑となった罪人や戦に敗れた落武者が山や藪の中の道を人目を避け通り掛かった際、これを近隣の百姓が略奪し殺害する慣行が存在した。これは村の防御という面だけでなく、庶民にとっての収入源の一つであったとも思われる。また守護などは、戦の際に近隣から農民たちを野伏として徴兵していた。

 映画「七人の侍」は、農民を救うため山賊野伏らと戦う浪人武士や、農民と落武者狩りの実態、浪人武士の生き様を描いている。