ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1042話 塞の神

序文・民間信仰

                               堀口尚次

 

 塞(さい)の神は、日本の民間信仰における神の一つ。岐(クナト)の神ともいい、古より牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされるである。また、久那土はくなぐ、即ち交合・婚姻を意味するものという説もある。「くなど」は「来な処」すなわち「きてはならない所」の意味。もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの外敵や悪霊の侵入をふせぐ神である。

 道祖神の原型の1つとされる。読みをふなと、ふなど -のかみともされるのは、「フ」の音が「ク」の音と互いに転じやすいためとする説がある。以下のように、意味から転じた読みが多い。岐(ちまた)〈巷、衢とも書く〉または辻におわすとの意味で、巷の神または辻の神、峠の神、みちのかみとも言う。また、障害や災難から村人を防ぐとの意味で、さえ、さい -のかみ〈障の神、塞の神〉、さらに「塞ぐ」の意味から転じて幸の神、生殖の神、縁結びの神、手向けの神の意味を併せるところもある。

 神話では、『古事記』の神産みの段において、黄泉(よみ)から帰還したイザナギが禊(みそぎ)をする際、脱ぎ捨てた褌(ふんどし)から道(ち)俣(またの)神(かみ)が化生したとしている。この神は、『日本書紀』や『古語捨遺』ではサルタヒコと同神としている。また、『古事記伝』では『延喜式』「道(みち)饗(あえの)祭(まつり)祝詞(のりと)」の八衢(やちまた)比(ひ)古(こ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。『日本書紀』では、黄泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナギから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から来名戸祖神(くなとさえのかみ)が化生したとしている。これは『古事記』では、最初に投げた杖から化生した神を衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)としている。

 なお、道祖神道教から由来した庚申信仰習合して青面金剛が置かれ、「かのえさる」を転じて神道猿田彦神とも習合した。さらに、同祖神は仏教とも習合しており、祇園精舎薬師如来の守り神であった山王神〈仏教的には大威徳明王〉が、庚申の日に生まれたことから、庚申講や庚申塚などの風習が奈良時代までは大流行していた。ちなみに猿田彦を祀る石碑には「日の丸」が彫られるが、山王神を祀る庚申塚には梵語が掘られており、同一神の神道的な解釈と仏教的な解釈の違いとみられる。

私見】「賽の河原」も、塞の神と仏教の地蔵信仰が習合したもののようだ。