ホリショウのあれこれ文筆庫

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第516話 御嶽信仰

序文・修験道山岳信仰

                               堀口尚次

 

 御嶽(みたけ)神社は、蔵王権現(ごんげん)を祭った神社。金峰(きんぷ)神社・金峯神社ともいう。総本社は吉野金峰山寺蔵王権現堂。

 修験道の神である蔵王権現を祀る神社は、明治時代の神仏分離のときに、御嶽神社金峰神社蔵王神社などと改称された。蔵王権現は、釈迦如来〈過去世〉、千手観音〈現在世〉、弥勒菩薩〈未来世〉が権化し出現したとされ、神道においては、「大己貴命(おおあなむちのみこと)」「少彦名命(すくなひこなのみこと)」「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」や、「安閑(あんかん)天皇〈広国押建金日命(かなひのひろくにおしたけみこと)〉」「金山毘古神(かなやまびこのかみ)」と習合し、同一視されたために、それらの神々を祭神とするようになった。

 なお、覚明(かくめい)行者、普寛(ふかん)行者が創始した木曽御嶽(おんたけ)信仰に基づく神社は、上記と区別して「おんたけじんじゃ」と呼ばれる。起源は蔵王権現信仰であるが別の信仰として分化している

 御嶽(おんたけ)教奈良県奈良市に教団本部〈御嶽山大和本宮〉を置く教派神道で、神道十三派の一つ。創始者は山下応助とされている。『宗教年鑑 令和3年版』における信者数は、34,890人。長野県木曽郡木曽町に御嶽登拝の安全を祈願するための神殿である木曽大教殿がある。御嶽山を信仰根本道場としている。

 江戸時代に覚明行者が黒沢口登山道、普寛行者が王滝口登山道を開闢する。1873年に東京・浅草の下山応助が全国の御嶽大神を崇拝する信仰者を集団結合させ、1882年に平山省斎が初代管長となり、教派神道の一派として成立、政府の公認を得た。経典は「御嶽教経典」と、準経典として「御嶽教神拝詞集」と「御嶽教信仰規範」がある。

 祭神は国常立尊大己貴命少彦名命の三柱の大神を奉斎(ほうさい)主神として「御嶽大神」と奉称し、木曽御嶽山の開闢大道彦たる覚明、普寛の二霊神を崇敬神として「開山霊神」と奉称する。また天神地祇八百万神を配祀神としている。修験道を起源としているが、仏教色は薄く祭祀も神道に準じている。

 御嶽教の社(やしろ)は、筆者の住む愛知県知多半島にも多く見られる。特に知多市大府市に多くみられ、傍目には普通の神社に見える。また愛知県日進市の岩崎御嶽社には、数百体の御祭神が祀られている。