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第141話 白虎隊と会津藩の悲劇

序文・会津の悲劇は白虎隊だけではなかった

                               堀口尚次

 

 白虎隊は、幕末における戊辰戦争の一環である会津戦争に際して、会津藩が組織した、16~17歳の武家男子を集めた部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。名称は、中国の伝説の神獣「白虎」に由来する。会津藩の敗色が濃くなる中での飯盛山での自刃で知られるが、戦死や自刃をしなかった隊士約290人は明治維新後を生きた。白虎隊は総勢343名おり、悲劇を生んだのは士中二番隊であり、この隊の42名の内の7名が自刃し6名が死亡したという説が有力だ

 白虎隊以外にも、朱雀隊(18~35歳の男子)、青龍隊(36~49歳の男子)、玄武隊(50歳以上)があり、藩士の正規軍であり、方角の守護神として「東・青龍」「西・白虎」「南・朱雀」「北・玄武」とした。

 この他にも、砲兵隊、築城隊などの正規軍があった。 

 更に、徴募した隊として、会議隊、狙撃隊、寄正隊(地方の郷士)、正寄隊(百姓出身)、敢死隊、別撰隊、寄勝隊(僧侶出身者中心)、遊軍隊、義勇隊、神青龍隊、敬身隊、赤心隊、誠志隊、修験隊、順風隊、新隊、信意隊、新撃隊、新練隊、護衛隊、別楯隊、別伝習隊、報国隊、遊撃隊、力士隊、猟師隊、年少隊(14~15歳)、河原田精神隊、義集隊、新遊撃隊、勇義隊、純義隊、鎮将隊、婦女隊、結義隊、歩兵隊、諸生隊などがあり、藩士の正規軍3500名、徴募した兵士8000名で、総勢11500名の軍制をしいたのだ。

 藩士藩士の子息は元より、町民・農民・僧侶・力士・猟師などからも徴募しており、藩士・領民あわせての総力戦だったことが伺える。 

 会津戦争の戦いの中で、藩主・松平容保の姉・照姫が城へ逃げる途中であるという情報が入り、その照姫を護衛するために女性20名ほどで作られた部隊が「婦女隊」だった。残念ながら照姫の情報は間違いだったが、結成された婦女隊はそのまま会津戦争の兵士の一員として戦い始めた。頭には鉢巻をして袴姿に薙刀なぎなた・女性用の長い武器)で新政府軍に挑んでいった。

銃に対して薙刀で立ち向かうことは無謀だが、着物を血で真っ赤に染めて戦ったという。

 白虎隊の悲劇はあまりにも有名だが、会津藩の武士の家族らが自刃するなど、数々の悲劇が生まれた。「戦うことのできない自分たちは城に入っても役に立たない、このままでは新政府軍に捕まって殺されるだけだ、それならば自分たちの手で子供たちを殺して自分も死のう」となってしまったのだ。

 明治維新は、このような会津の悲惨な歴史の上に成り立っているのだ。

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※お城が焼けたと勘違いして自刃する白虎隊の少年たち