ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1273話 人間・本田宗一郎

序文・オヤジさん

                               堀口尚次

 

 本田宗一郎明治39年 - 平成3年〉は、日本の実業家、技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業〈通称:ホンダ〉の創業者。位階は正三位

 従業員からは親しみをこめて「オヤジさん」と呼ばれていたが、一方でともに仕事をした従業員は共通して「オヤジさんは怖かった」とも述べている。作業中に中途半端な仕事をしたときなどは怒声と同時に容赦なく工具で頭を殴ったり、実験室で算出されたデータを滔滔と読み上げる社員に業を煮やし「実際に走行させたデータを持ってこい」と激怒して灰皿で殴ったりしていた。しかし、殴られた者よりも殴った本田の方が泣いていたこともあったという。また怒る際、「人はよく、かわいいからこそ怒るなんて言うが、おれはそうじゃない。そのときはほんとに憎たらしくなる。なぜなら、おれたちのつくる商品は人命にかかわるものなんだ。それをないがしろにする人間は絶対に許せない」と言ったとされる。

 社長退職後、全国のHondaディーラー店を御礼参りする。その際、整備担当が握手を求めたが、自分の手が油だらけなことに気がつき、洗いに行こうとする。しかし、本田は自らも技術者であったため、油まみれの手での握手に喜んで応じた。

 昭和27年に藍綬褒章を皇居で授与されるにあたり、「技術者の正装とは真っ白なツナギ〈作業着〉だ」と言いその服装で出席しようとしたが、さすがに周囲に止められ、最終的には藤沢武夫が用意したモーニング〈燕尾服〉を借りて出席した。本人曰く燕尾服を持っていなかったためそのような発言をしたとのことである。

 上述の褒章授与のエピソードにもあるように、技術者の服装として「白いツナギ」に強いこだわりを持っていたことで知られる。これは「汚れが目立てば汚さないように努め、機械本体もきれいに使うようになる」という考えに起因するもので、本田の死後もホンダ社内では、技術系の社員は(社長も含め)基本的に全員白いツナギを着用する慣習が続いている。

 死の直前、「社葬はするな」と言い残した。その理由は、「車やオートバイのおかげで今まで生きてこられたのに、自分の葬式で渋滞を起こすような迷惑はかけられない」というものであった。