ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1272話 辞世

序文・風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん

                               堀口尚次

 

 辞世とは、もともとはこの世に別れを告げることを言い、そこから、人がこの世を去る時まもなく死のうとする時などに詠む漢詩偈(げ)和歌発句(ほっく)またはそれに類する短型の類のことを指す。

 辞世と言えば一般に、この世を去る時に詠む短型詩のことを言うが、これは東アジア固有の風俗である。基本的にはあらかじめ用意された作品のことを指すが、末期の床でとっさに詠んだ作や、急逝のために辞世を作るいとまがなくたまたま生涯最後の作品となってしまったもの〈以上のような例を「絶句」として区別する場合がある〉も広い意味での辞世に含む。内容的には自らの生涯を振り返っての感慨や総括、死に対する想いなどを題材にする。

 風俗としての起源ははっきりしないが、日本では、自らの死を悟って歌を残した例は『万葉集』巻第三「雑歌」416番の大津皇子や巻第五「雑歌」885番の大伴熊凝に見られ、少なくとも律令時代にまでさかのぼる。

 特に中世以降の日本において大いに流行し、文人や武士の今際の際には欠かせない習いの一つとなった。この場合、最もよく用いられた詩形は和歌である。これは禅僧が死に際して偈を絶筆として残す風俗に、詩形としての和歌の格の高さ、王朝時代以来の歌徳説話のなかにまま辞世に関するものが見えたこと、などが影響していると思われる。

 江戸期には偈による辞世がほとんど姿を消すと同時に、和歌形式が狂歌や発句に形を変えてゆくのが一般的な風潮になった。和歌にはない俗や笑いを持ち込める形式が辞世として多く用いられるようになったことで、明るく、軽く、死を描きながら一皮めくるとその裏に重大なものが息づいているという繊細なポエジーが成立し、江戸期は辞世文学における一つの頂点を迎えるといってよいだろう。また、政治的な理由で死を選ばざるを得なかった人々が辞世漢詩の詩形を用いたこともこの時代の一つの特徴であり、これは自らの社会的な志を述べるのにこの詩形が最もよく適していたことを示している。

【有名な辞世】

 「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」 - 浅野内匠頭

 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」 - 吉田松陰