ホリショウのあれこれ文筆庫

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第75話 忠臣蔵

序文・「忠臣」の大石内「蔵」助。

                               堀口尚次

 

 「第74話 江戸時代の身分制度と家格」でも取り上げた「忠臣蔵」について詳しく綴(つづ)りたい。

 赤穂(あこう)藩は、播磨国(はりまのくに)赤穂郡(現在の兵庫県赤穂市)にあり、藩主の「浅野内匠頭(たくみのかみ)長矩(ながのり)」は、五万石(ごまんごく)の外様(とざま)大名だ。

 対する「吉良(きら)上野介(こうずけのすけ)義央(よしひさ)」は、旗本(はたもと)の高家(こうけ)=儀式や典礼を司る役職 の中でも特に格式のある高家肝煎(こうけきもいり)であり、四千二百石ながら従四位上(じゅしいのじょう)左近衛(さこんえ)権(ごん)少将だった。これは、私風に現代に置き換えれば、「地方の県知事」と「中央官庁・宮内庁あたりの長官」との関係にあたろうか。

 吉良は、浅野に対して「田舎大名」と愚弄(ぐろう)したとされるが、吉良も三河国(現在の愛知県西尾市、旧幡豆郡吉良町)に所領を持つが、代官を派遣しており本人は江戸定府(じょうふ)である。

 浅野は、勅使(ちょくし)饗応役(きょうおうやく)=朝廷が派遣してきた使者を接待する役目 に就いた。将軍は、正月に年賀の挨拶として高家らを朝廷に派遣しており、その返礼として朝廷から、勅使がやって来るが、この対応係が勅使饗応役である。

 勅使の対応には莫大な予算がかかることから、幕府は余計な蓄財をさせない意味で外様大名ばかりを任命したのだが、武骨な大名が一人で務めて天皇上皇の使者に対して無礼があったりしてもいけないので、対応役の大名には朝廷への礼儀作法に通じた高家肝煎が指南役(口添え役とも)につくのが決まりであった。対応役の大名はこの高家に対しても指南料として高価な進物を贈らねばならなかった。

 こうして浅野には、吉良が指南役となったが、当時の文献には吉良が暗に賄賂を要求したが、浅野が十分な賄賂を送らなかったことが両者の不和の原因だとするものがある。こうして、浅野を田舎大名と馬鹿にする吉良は、浅野に意地悪ばかりをしたのである。まるで子供の喧嘩である。

 挙句(あげく)、浅野は殿中(でんちゅう)に於いて刃傷(にんじょう)に至るという、暴挙(乱心とみなされた)に出たが、この事が「お家取り潰し」である事は周知の事であり、暴君と云わざるを得ない。五万石の大名の仕業(しわざ)ではない。忠義の意味での忠臣蔵は分るが、浅野内匠頭の行動は頂けない。ただそれだけに、浅野が如何に無念に切腹したのかが慮(おもんばか)れる。それを現しているのが有名な辞世の句「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春のなごりを いかにとやせん」だ。現代文にすれば「風に吹かれ散っていく花も春を名残惜しいと思うが、もう二度と見ることのない春を名残惜しく思う私はどうすればいいのだろうか」といったところだろうか。

 武士というものが、如何に格式や見栄に拘(こだわ)り、大名という自分の立場までも忘却してしう程の役目を、仰せつかっていたのだろうか。

 その後、城代(じょうだい)(筆頭家老)の大石内臓助(くらのすけ)が四十七士を伴って、仇討ちを成功させるのだが、この史実は、物語となって「書物」や「映画」「テレビドラマ」等で頻繁に扱われたが、私は1958年の大映映画「忠臣蔵」を押したい。その中で特に印象に残る場面に「垣見五郎兵衛との問答」がある。
 調達した武器を、仇討ち決行のために輸送しなければいけない大石らは、江戸へ下向中、天下法度の道具を運ぶので関所でとがめられる恐れがあるから、「日野家=公家 の名代(みょうだい)で垣見五郎兵衛という人物が禁裏(きんり)=御所 御用のために京都から江戸へ下る」という情報を元に、悪いこととは知りながらこの輸送係の垣見の名を語ることにする。本物の輸送ルートを中山道だろうと予測して、自分たちは東海道を下ったが、運悪く神奈川宿で本物の垣見の道中と出くわす。宿の表に「垣見五郎兵衛御宿」という看板を発見しておどろいたのは本物の垣見五郎兵衛。彼は最初、自分の名を語る不届きなやつと部屋に踏み込むが、迎えた大石も「我こそが垣見五郎兵衛」とゆずらない。混乱する垣見だが、すぐに目の前の人物を主君の仇討ちをせんとする赤穂浪士と察し、心の中で「それならそうと言ってくれれば便宜もはかったし、さぞ心を痛めたであろう。なんで通さでなるものか」という同情と応援の気持ちから、自分のほうがニセモノだと詫びる。意外な展開にビックリする大石。その上「これは私の偽造品です。処分してください」と言って本物の通行手形を大石にくれる。まさかの厚意に、ふすまの向こうで控えてる浪士たちも両手を合わせたり土下座して感泣する。この時に大石が垣見に対し「武士は相見(あいみ)互い=御互い様、よくよくのご事情があってのこととお察し申す。落ちぶれてこそ人の世の情けが身に沁みるもの」と云う、この場面は落涙を禁じ得ない。

 また、仇討ちを迫る亡き殿の奥方に対して「仇討ちの意志は毛頭ない」と答える大石だったが、これは仇討ちの情報が洩れる事を間者(かんじゃ)=敵のスパイ などの気配から感じ取っての言動であり、忠義心が無い事を咎(とが)められて奥方邸を後にした大石だったが、奥方は、大石が置いて云った巻物が「仇討ちの血判状」だった事を知り「大石、許してたもれ」という場面も泣ける。涙腺弱いです。

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