序文・あなたの一票が扉を開ける
堀口尚次
近くの公民館で投票してきましたが、疑問に思うことがあります。衆議院議員の小選挙区は、うちの場合は、自由民主党と立憲民主党の二人しかいないので、明確に選択が出来ます。ただ、どちらの政党も指示していない人はどうするんだろう。当然、公明党指示の人は、連立を組んでいる自由民主党へ入れるんだろうが、立憲民主党と選挙協力をしていない政党指示の人はどうしているのだろう。白紙委任状取り付けで民意が反映できるのだろうか。
「私は誰にも投票しないことで、既存政党(立候補者)すべてにNoをつきつける」という意見もあるようだが、これも一つの民主主義の形なのだろうか。投票率が低いのはその国の民度(民主主義の浸透力)が低いということだから、本来恥ずべきことなのだが、政治への無関心や既存政党への不満などから、投票行為をないがしろにすることも、一つの民意の現れであるようにもおもえる。
比例代表は、すべての政党から選択できるので、民意が分散され有意義であるが、小選挙区と同じように既存政党すべてにNoを出している人としては選択できないので同じだ。
また、最高裁判所裁判官国民審査は、どれだけの人が真剣に取り組んでいるのだろう。私も一応新聞の過去の裁判例は読んだが、ピンとこない。勿論不適合者がいないと思うなら誰にも×印を付けなくてもいいのだが、ふと思ったことがあります。有権者の中に『適当に選んで×印つけちゃえ』なんて人がいると、つもりつもって大きな数にならないだろうか。民意には、「顧慮の上の民意」と「適当な民意」もある。仮に全有権者が「適当な民意」だったとしたら『適当な民意の政治・司法』が出来あがるだけのことだろうか。
投票を終えて「投票済証」を受け取ったが、その裏面に『あなたの一票が扉を開ける』と書いてあった。地元の中学生が描いた選挙啓発ポスターコンクールで特選になった絵の文字だが、このポスターが謳う通り、まずは投票場に足を運ぶことが第一なのだろうか。政党・候補者選択は次の次元の話しなのかもしれない。
候補者が『清き一票をお願いします』と連呼していたが、はたして私は『清き一票』を投じることができたのだろうか。小雨が降り注ぐ中、自問自答しながら帰宅しました。