ホリショウのあれこれ文筆庫

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第155話 幻の蝦夷共和国

序文・榎本の胸中は誰にもわからない

                               堀口尚次

 

 蝦夷共和国とは、戊辰戦争末期に蝦夷地〈北海道〉を支配した旧江戸幕府軍勢力による「事実上の政権」である蝦夷島政府を指す俗称。蝦夷政権、箱館政権、北海道共和国とも言う。

 幕末に江戸城無血開城されると、旧幕府海軍副総裁・榎本武揚は開陽丸を旗艦とする軍艦4隻と運送船4隻の8隻の艦隊を率いて蝦夷地の箱館に向かった。途中仙台で会津戦争で敗走した残党などを吸収して、総勢二千数百名となり、蝦夷地〈北海道〉に上陸。上陸後、数日で五稜郭を攻略し、箱館を占領した〈旧松前藩の北海道・地方行政機関長の箱館府知事は敗走した〉。

 蝦夷地全島平定の祝賀祭〈蝦夷地領有宣言式〉が催され、榎本を総裁とする仮政府の樹立を宣言した

 明治元年に榎本が函館入港中の英仏両艦長に明治新政府との仲介を依頼した「榎本武揚等歎願書」によると、榎本は蝦夷地に向かった目的について、徳川家の禄高が70万石に制限されたことによって禄を離れざるを得ない旧幕臣蝦夷地に入植させ、農林漁業や鉱業などを興すとともに、ロシアの南下に対する北方警備につかせることを画策したと説明している。

 諸役を決定するための投票が実施された。この背景として、脱走軍は榎本武揚が指導者になっているとは言え、元藩主や元幕府老中といった大名クラスも参加しており、君臣の関係が複雑であったこと。また「陸軍派」と「海軍派」のグループもあり、「陸軍派」の中も、「彰義隊」と「小彰義隊」等の小グループがあり、全体として一枚岩に纏まってはいなかったことが挙げられる。ただし、この投票に箱館の住民は参加しておらず、旧幕府軍でも投票に参加したのは士官以上の者で旧幕府脱走軍の総数の3分の1程度にすぎず共和制といえるような公選ではなかった。投票総数856票の内、榎本は156票と最大投票を得た。ただし、投票数の2割以下で、圧倒的多数ではなく、各グループごとに投票は分かれている。また、これとは別に役職選挙が行われている。こうして榎本は「総裁」となり、「陸軍奉行並」に元新選組土方歳三が就いている。

 その後、榎本は箱館戦争で敗北し降伏後、東京の牢獄に2年半投獄されたが、敵将黒田清隆〈後の首相〉の尽力により助命され、釈放後明治政府に仕えた駐露特命全権公使として樺太千島交換条約を締結したほか、外務大臣などを務め、内閣制度開始後は、文部大臣、農商務大臣などを歴任、子爵となった。後年、福沢諭吉は「幕府の高官でありながら新政府に仕え華族となった榎本と勝海舟は、本来徳川家に殉じて隠棲すべきであった」と痛烈に批判している。

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※前列の左から二人目が榎本武揚