ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1206話 賞典禄

序文・薩長土肥で分配

                               堀口尚次

 

 賞典禄は、明治維新に功労のあった公卿大名および士族に対して、政府から家禄の他に賞与として与えられたである。

 戊辰戦争から箱館戦争の間における旧幕府軍及び佐幕派諸藩との戦いにおける官軍の勝利は、明治政府の構成員であった公武の人々のみならず、当初は日和見的な態度を取っていた諸藩の官軍への参加もあってのものだったため、官軍参加諸藩には旧幕府や佐幕派諸藩・旗本から政府が没収した所領の再配分を望む者が少なくなかった。大久保利通木戸孝允らはこれに反対したが、諸藩の強い要請から明治2年6月に政府は功労のあった公家・大名・武士・兵隊などに賞典禄という恩賞を出すことを決定した賞典禄には、家禄と同様に無期限に給付され、子孫への世襲が許された永世禄、本人1代のみの終身禄、期限が定められていた年限禄の3種類が存在した。

 旧暦明治2年6月2日、戊辰戦争の軍功者419人と諸隊、諸藩、戦艦に対して禄を授けられた。総額米74万5750石、現金20万3376両。最高は鹿児島藩島津忠義久光父子と山口藩毛利元徳敬親父子の10万石、高知藩主山内豊範・豊信父子の4万石がこれに次ぎ、藩士では西郷隆盛の2000石が最高であった。同年10月18日、箱館戦争の軍功者に総額3万5220石及び9名及び艦船9隻に対する3年間の年限禄8万5500石、同月30日には王政復古の功臣を賞して禄を授けられた。総額は米3万5150石、現金1500両。最高は三条実美岩倉具視の5000石で、木戸孝允大久保利通広沢真臣の1800石がこれに継ぐ。以上の内、注記のないものは何れも永世禄である。

 原則として、一時金として出された賞典金を除き、1石あたり現米2斗5升が支給された。また、諸藩においても、藩主が授かった賞典禄の中から藩士に恩賞として分与が行われる場合もあった。これを分与禄という。財源は戊辰戦争で敗れた諸藩から没収した所領が充てられた。だが、家禄とともに財政悪化の一因となった

 依然として支給を続けていた家禄と共に秩禄処分の対象となり、明治9年に金禄公債の支給と引き換えで廃された。永世禄を含め、存続したのはわずか7年間であった