ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1205話 征露丸から正露丸へ

序文・ロシアを征服

                               堀口尚次

 

 正露丸は医薬品であり、木クレオソート〈別名日局クレオソート〉を主成分とした胃腸薬〈止瀉薬(ししゃやく)=下痢止め〉である。旧称は『征露丸』。

 正露丸の主成分である木クレオソートは、1830年にドイツ人カール・ライヘンバッハ化学者がヨーロッパブナの木から蒸留し精製したことに起源がある。当初は化膿傷の治療に用いられ、後に防腐剤として食肉の保存などに使用され、更に殺菌効果を期待して胃腸疾患に内服されるようになった。オランダ薬物の輸入をしていた長崎の薬種問屋村上家の記録によると、「ケレヲソート」として1839年〈江戸時代末期〉より取扱いを始めている。

 明治35年、中島佐一が「忠勇征露丸」の「売薬営業免許の証」を大阪府から取得し製造販売をした〈これは大幸薬品による見解であり、シャルコ アンナが確認したところでは、確かな証拠は得られずに、免許取得は明治40年と記載した文書を見つけている〉。明治36年陸軍軍医学校教官の戸塚機知三等軍医正は、クレオソートを内服した者の便中から培養した大腸菌が腸チフスを抑制する効果を持つことを発見する 。

 陸軍省『明治三十七八年戦役陸軍衛生史 第5巻 第1冊』の記録によれば、戸塚が発見したクレオソートの効果を知った野戦衛生長官が消化器に関する伝染病予防として征露丸と名付けて支給し服用するように命じたとある。大本営陸軍部野戦衛生長官であった陸軍軍医の小池正直本人も、日露戦争において、腸に付く伝染病チフス赤痢の予防のために征露丸を導入した、と述べている。しかし、征露丸に応用実績はなく、また、臭気などにより嫌われ、服用しないものもいた。確かな統計が得られておらず、伝染病に対する征露丸の効果ははっきりしていない。

 その一方で、胃腸を強健にする効果が認められて服用が推奨された。昭和24年、国際信義上、ロシアを「征」するとの字を使うことは好ましくないとの行政指導があり、「征露丸」は「正露丸」と改められた。この際、「忠勇征露丸」は「中島正露丸」に名前を変えている。日本医薬品製造だけは、「征露丸」の名前のままとした。