ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1204話 徳川家康の友・本多正信

序文・三河一向一揆で敵対した過去有

                               堀口尚次

 

 本多正信は、戦国時代から江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の家臣で、江戸幕府の老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代。父祖以来、徳川氏に仕えるが、三河一向一揆に与して鎮圧後に三河を出奔。後に許されて家康のもとへ帰参し、江戸開府後は家康、次いで2代将軍・徳川秀忠の側近として幕政の中枢にあり権勢を振るった

 家康は正信を参謀として重用し、「」と呼んだと言われている前田利家の没後、石田三成加藤嘉明ら七将に襲撃されて家康を頼ったとき、正信は深夜に家康の下を訪れて「治部(じぶ)〈三成〉をどうなさります?」と質問した。すると家康は「今、考えておる所よ」とだけ述べた。それだけで正信は家康が何を考えているのか理解して安心して退出したという。関ヶ原の後、家康は三成の嫡男・重家の処遇に悩まされた。普通なら敵の大将の嫡男だから後世の憂いを除くために殺すのが当たり前だったが、重家は僧籍に入って恭順を誓っていた。家康は正信に相談し、正信は「他の事情はどうあれ、重家には赦免する理由があります。親父の治部は我が徳川家に大功を立てましたから、それを考慮すべきでしょう」と言った。家康が「大功とは何か?」と訊ねると、「治部は西国大名を糾合(きゅうごう)して関ヶ原という無用の戦を起こし、そのおかげで日ノ本60余州は全て徳川家に服すことになったのです」と答えた。家康は「わかった。佐渡正信〉の言うことには一理ある」と答えて重家を赦免した。

 あるとき家康が近習達を罵っていた。そこに現われた正信が「何に腹を立てておられるのですか?」と訊ねた。家康は口から唾を飛ばしながら答え、正信は「誠に上様の仰る通り。お前達は何と馬鹿げたことをしでかしたのか!」と家康以上に怒りを見せて怒鳴りつけた。近習らは家康第一の信任を受けている正信だけに逆らうことができず萎縮し、家康も正信の怒りに呆気に取られて苦笑した。それを見た正信は「お前達は、上様の腹の虫の居所が悪くて叱られたと思ってはならぬ。お前達を大事に思われるからこその御教訓なのだ。1人前の人間として召し使ってやろうとのお心から、言わないでもいいことを仰られたのだ。上様はお前らの祖父や父の武功や忠義の事を決してお忘れではない。だからお前達も1度、上様の御機嫌を損じたからと御前を遠慮するではないぞ。」と宥(なだ)めて家康の怒りを解いたという。