序文・約束は守りましょう
堀口尚次
ゆびきり〈指切、指切り〉は、近世以降の日本において、約束の厳守を誓うために行われる、大衆の風習。
フック状に曲げた小指を互いに引っ掛け合い、唱えごとをする。唱えごとは、「指切拳万(けんまん) 嘘ついたら針千本呑ます」という、約束を違えたときに課される名目上の罰を内容とするまじないの言葉を共に唱えて意思を確認し合う。
「拳万」は「握り拳(こぶし)で1万回殴る」、「針千本呑ます」は「ハリセンボンを呑ませる」ではなく、「裁縫針を1000本呑ませる」という意味であり、このまじない言葉は地方によって異なる。また「指切り」の語自体も地方によって違っている。
平安時代の検非違使庁によって罪人に対し腕を切り落とす断手刑が実施されており、対して指を切り落とす指切りは鎌倉時代初期には味方討ちをした御家人もこれを科した記録があった。この指切り罰は江戸時代初期まで盗人、撰銭令違反者、キリスト教徒へ科刑した資料が散見されている。なお、江戸時代に入ると指切りの法制自体に記述はないが、「指詰め」の形で私刑として存続したようである。
他に、室町幕府が永世9年8月に定めた『撰銭令』の条例〈令自体は永正2年に発布〉には、違反した者は、「男は頸(くび)をきり、女は指をきらるべし」との肉体刑を記している。12世紀末の『吾妻鏡』には、戦時中、御方討〈味方討ち・同士討ち〉をしてしまった者は、「指切の刑」に処されたことが記述されている。
かつて遊女が男に対し相愛誓約の証として、自らの小指または髪を切り渡したり、腕などに男の名を入れ墨することがあり、これを「指切髪切り入れ黒子」と称した。天和3年の世継曾我には「自らも十郎様とは新造の昔より、馴染を重ね参らせて、ゆびきりかみ切いれぼくろ」の記述がある。また、この行為を特に心中立てとも称した。
江戸時代の遊女が行った心中立てと同じく、「以後隠すことなく元に戻らない決意の証」を示す指切りとして小指を切り取ることはやくざの間では処罰の方法として行われた。