ホリショウのあれこれ文筆庫

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第367話 軍隊ラッパ

序文・郷愁と哀愁

                               堀口尚次

 

 日本にラッパが紹介され持ち込まれたのは幕末で、慶応元年にイギリスの歩兵操典〈英国歩兵練法〉が翻訳された際に、信号喇叭(らっぱ)譜が紹介された。明治に入り近代軍隊設立のため、フランス軍に範をとった陸軍が招聘(しょうへい)した軍事顧問団によってフランス式の喇叭譜およびフランス式ビューグルがもたらされた。

 昭和5年帝国陸軍は新喇叭である九〇(きゅうまる)式喇叭を制定し、これは軍隊喇叭の代名詞的存在として第二次世界大戦終戦まで広く用いられることとなる。旧制式との変更点は二環巻で大型であった旧制式喇叭を三環巻かつ小型に、朝顔部分などを補強、「万国国際標音の新音調を採用」のために音調を半音低くし、吹奏を容易にしたことであった。なお九〇式喇叭は海軍でも使用されており、銃火器を除き数少ない陸海軍の共通装備であった〈陸軍と異なりウール製の布である握巻は巻かない〉。

 「起きるも寝るも皆喇叭」と言われたように、陸海軍共に軍隊生活は起床から消灯まで喇叭の音と共にあり、喇叭譜に歌詞をつけて口ずさまれるほどに親しまれ、元将兵の多くは喇叭の音にある種の郷愁のようなものを抱いている。なお旧陸軍では「楽な任務」として「一にヨーチン、二にラッパ」と言われていた。※ヨーチンとは衛生兵〈医療業務〉のこと

 帝国陸軍におけるその一般的な歌詞は次の通りである〈なお部隊や時期ごとに無数のバリエーションがあるため、これはあくまでも一例である〉。

・起床:「起きろと言ったら皆起きろ 起きないと隊長さんに怒られる」

・消灯:「新兵さんは辛いんだね また寝て泣くのかね」

・突撃:「出て来る敵は 皆々倒せ」「出て来る敵は 皆々殺せ」

・食事:「一中隊と二中隊はまだ飯食わぬ 三中隊はもう食って食器上げた」

なお、喇叭譜「食事」は帝国陸軍の喇叭を社章(「ラッパのマーク」)とする大幸薬品正露丸CMで使用され、喇叭譜「突撃」は通称「突撃ラッパ」として共に広く知られている。

 私の親父は軍人ではなかったが、嗜好で軍隊ラッパを独学習得し、戦友会などに乞われて吹奏を行っていた。そのせいか私も音色や音階に哀愁を感じる。