戦争
序文・アメリカのB-29より大きい 堀口尚次 富嶽(ふがく)は、大東亜戦争中に日本軍が計画した、アメリカ本土爆撃を目的にした6発の超大型戦略爆撃機である。名は富士山の別名にちなむ。 昭和17年、アメリカ軍による初の日本本土空襲と、日本軍による初の…
序文・元来は「しんぷう」 堀口尚次 神風特別攻撃隊は、第二次大戦で大日本帝国海軍によって編成された爆装航空機による体当たり攻撃部隊〈特別攻撃隊〉と直接掩護並びに戦果確認に任ずる隊で構成された攻撃隊。攻撃目標は艦船。略称は「神風」「神風特攻隊…
序文・国歌に翻弄された国民 堀口尚次 引き揚げとは、昭和20年8月15日に日本が第二次世界大戦で連合国に降伏したことを受け、日本の外地 や日本軍占領地 または内地のソ連軍被占領地 に生活基盤を有する一般〈民間〉日本人が日本の本土〈内地〉へ戻されたこ…
序文・波の背の背にゆられてゆれて 堀口尚次 復員輸送艦は、太平洋戦争終結後、海外に残された日本人を本土に帰還させるために使用された艦船のこと。復員輸送船とも言われる。正確には第二復員省の特別輸送艦/特別輸送船に指定された艦船を指すが、一般には…
序文・太平洋戦争の開戦暗号の考案者 堀口尚次 瀬島龍三、明治44年 - 平成19年は、日本の陸軍軍人、実業家。陸士44期次席・陸大51期首席。位階は従三位。太平洋戦争のほとんどの期間を参謀本部部員〈作戦課〉として務めた。最終階級は中佐。戦後自衛隊からの…
序文・戦略の重要性 堀口尚次 堀栄三、大正2年 - 平成7年は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサ…
序文・アメリカとソ連の駆け引き 堀口尚次 ヤルタ会談は、1945年2月4日から2月11日にかけて、ソビエト連邦のクリミア自治ソビエト社会主義共和国のヤルタ近郊にあるリヴァディア宮殿で開催された、イギリス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国による連合国首脳会…
序文・海軍の都合で開削された 堀口尚次 私は、対馬といえば日本海に浮かぶ朝鮮半島に近い島で、沖縄のような一つの島であるイメージであったが、今回人工的に開削された島であることがわかった。 主島は対馬島で、このほか属島として6つの有人島と102の無人…
序文・GHQによる政教分離 堀口尚次 神道指令は、昭和20年12月15日に連合国軍最高司令官総司令部〈GHQ〉が日本政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」の通称である。覚書は信教の自由…
序文・捕虜として生きる教え 堀口尚次 酒巻和男、大正7年 - 平成11年は、海軍軍人、後にビジネスマン。太平洋戦争劈頭(へきとう)〈最初〉の真珠湾攻撃において特殊潜航艇「甲標的」搭乗員として参加。艇が座礁し、太平洋戦争における最初の日本人捕虜となる…
序文・自分の空母を雷撃処分させた 堀口尚次 山口多聞(たもん)、明治25年 - 昭和17年は、海軍軍人。海兵40期次席・海大24期次席。ミッドウェー海戦において空母飛龍沈没時に戦死。最終階級は海軍中将。位階は正五位。 ミッドウェー海戦に於いて 山口は「飛龍…
序文・不時着した零戦 堀口尚次 ニイハウ島事件は、昭和16年12月7日〈日本時間12月8日〉に、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃に加わった空母「飛龍」所属の零式艦上戦闘機が、ハワイ諸島のニイハウ島に不時着して起きた一連の出来事。操縦士の西開地(にしかい…
序文・伝道者になった空襲部隊指揮官 堀口尚次 淵田(ふちだ)美津雄、明治35年 - 昭和51年は、日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。海軍兵学校52期。同期に源田実、高松宮宣仁親王らがいる。最終階級は海軍大佐。 1941年8月25日、第一航空艦隊の赤城飛行長に着…
序文・航空自衛隊育ての親 堀口尚次 源田実、明治37年 -平成元年は、海軍軍人、航空自衛官、政治家。海軍での最終階級は大佐。戦闘機パイロット、航空参謀を歴任し、第三四三海軍航空隊司令として終戦を迎えた。自衛隊では初代航空総隊司令、第3代航空幕僚長…
序文・恐るべき日本の技術 堀口尚次 秋水(しゅうすい)は、太平洋戦争中に日本陸軍と日本海軍が共同で開発を進めたロケット局地戦闘機である。ドイツ空軍のメッサーシュミットMe163の資料を基に設計を始めたが、試作機で終わった。 正式名称は試製秋水。海…
序文・南京虐殺との関連 堀口尚次 通州(つうしゅう)事件とは、昭和12年に中国の通州〈現:北京市通州区〉において冀東(きとう)防共自治政府〈1935年から1938年まで中国河北省に存在した政権。当時の日本側の公式見解によると、地方自治を求める民衆を背景に…
序文・軍部暴走の始まり 堀口尚次 柳条湖(りゅうじょうこ)事件は、満州事変の発端となる鉄道爆破事件。 昭和6年、民国20年9月18日、満州〈現在の中国東北部〉の奉天〈現在の瀋陽市〉近郊の柳条湖付近で、中国兵が日本の南満州鉄道を破壊し、日本の鉄道守備隊…
序文・アメリカのおかげ 堀口尚次 日露戦争において終始優勢を保っていた日本は、日本海海戦戦勝後の1905年〈明治38年〉6月、これ以上の戦争継続が国力の面で限界であったことから、当時英仏列強に肩を並べるまでに成長し国際的権威を高めようとしていたアメ…
序文・東条英機やマッカーサーも味方につけた 堀口尚次 樋口季一郎は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。兵庫県淡路島出身。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団長等を経て、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。 前夜第二次世…
序文・狂気の沙汰なのか?! 堀口尚次 大川周明(しゅうめい)、明治19年 - 昭和32年は、日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、柘植大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法…
序文・世紀の大役 堀口尚次 重光葵(まもる)、明治20年 - 昭和32年は、日本の外交官・政治家。重光は敗戦直後に組閣された東久邇宮稔彦王内閣で外務大臣に再任され、日本政府の全権として降伏文書に署名するという大役を引き受ける。昭和20年9月2日、東京湾上…
序文・社会民主主義 堀口尚次 北一輝(いっき)、明治16年- 昭和12年は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家主義者。二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。 「明治維新の本義は民主主義にある」…
序文・戦後のタブー 堀口尚次 富田メモとは、平成18年7月20日の日本経済新聞朝刊により、その存在が報道された元宮内庁長官・富田朝彦がつけていたとされるメモ〈手帳14冊・日記帳13冊・計27冊〉。特に昭和天皇の靖国神社参拝に関する発言を記述したと報道さ…
序文・木製プロペラが岐阜の民家で見つかった 堀口尚次 九二式重爆撃機は、1930年代の大日本帝国陸軍の試作重爆撃機。キ番号〈試作名称〉はキ20。呼称・略称は九二式重爆、九二重爆など。 本機の設計元はドイツのユンカース社が開発したユンカースG.38大型…
序文・戊辰戦争の禍根を背負って 堀口尚次 柴五郎、万延元年 - 昭和20年は、陸軍軍人。第12師団長・東京衛戍(えいじゅ)総督・台湾軍司令官・軍事参議官を歴任し、階級は陸軍大将勲一等攻二級に至った。 会津藩の上士〈280石〉である柴佐多蔵の五男として生ま…
序文・日本内部からの崩壊を憂慮 堀口尚次 米内光政(よないみつまさ)は、連合艦隊司令長官、海軍大臣、内閣総理大臣を歴任した。 鈴木内閣の陸軍大臣だった阿南惟幾は終戦の日当日に「米内を斬れ」と言い残して自決したが、米内本人は軍人として法廷で裁かれ…
序文・戦争犯罪とう犯罪の是非を問う 堀口尚次 BC級戦犯は、連合国によって布告された国際軍事裁判所条例及び極東国際軍事裁判条例における戦争犯罪類型B項「通例の戦争犯罪」またはC項「人道に対する罪」に該当する戦争犯罪または戦争犯罪人とされる罪状に…
序文・国際法違反はお互い様 堀口尚次 橘丸(たちばなまる)事件は、昭和20年に日本陸軍が国際法に違反して病院船「橘丸」で部隊・武器を輸送した事件である。日本陸軍創設史上最も多い約1,500名の捕虜を出すこととなった。 昭和18年12月当時、日本軍が運用し…
序文・けふ正午に重大放送 堀口尚次 「堪え難きを堪え 忍び難きを忍び もって万世の為に太平を開かんと欲す」で有名な玉音放送は、『大東亜戦争終結ノ詔書』であり「終戦詔書」とも呼ばれ、天皇大権に基づいてポツダム宣言を受諾する勅旨を国民に宣布するた…
序文・天皇の機微にふれたか 堀口尚次 田中義一〈陸軍大臣→総理大臣〉は、張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件に際して、国際的な信用を保つために容疑者を軍法会議によって厳罰に処すべきと主張し、その旨を天皇にも奏上したが、陸軍の強い反対に遭ったため果た…