ホリショウのあれこれ文筆庫

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第852話 義烈空挺体

序文・B-29破壊工作

                               堀口尚次

 

 義烈空挺隊は、敵飛行場に輸送機で強行着陸して敵航空機と飛行場施設を破壊することを目的とした旧日本陸軍空挺部隊で編成された特殊部隊沖縄戦期間中の昭和20年5月24日に、連合軍に占領されていた沖縄の嘉手納飛行場と読谷(よみたん)飛行場に攻撃を行った

 特殊部隊は「神兵皇(すめら)天皇を敬意をこめて褒めたたえる表現〉」と名付けられ、隊員らは自分たちの目標がB-29だと知ると「我々がB-29をやらなければ、日本全部が、焦土と化す」「だからどうでもこうでもB-29を焼かなければならない」と一兵に至るまで決心し、「B-29を1機焼くことは乙巡洋艦〈小型巡洋艦〉を1隻沈めるに等しい」と自分たち任務の重要性を認識している。

 昭和20年に入ると、神兵皇隊はサイパン島への出撃基地となる浜松飛行場に進出したが、部隊名称は教導航空軍により「義烈空挺隊」に変更された。

 大本営の許可はとったものの、沖縄戦の大勢も決し時期を逸した戦況に、菅原は作戦の決行を躊躇したが、これまで何度も出撃が中止となってきた奥山が「空挺隊として若し未使用に終わるようなことになっては何の顔(かんばせ)〈顔つき〉あって国民に相まみえん」「当局の特別なる保護と、世上の絶大な尊敬に対して、武人の最期を飾るべき予期の戦場さえ与えられないとなると、国民国家に対して顔向けができようか」と心中を吐露していたことを知って、菅原は「部下に死に場所を与える」という感情に流されて出撃命令を下した。

 戦闘後に行われたアメリカ軍の調査によると、確認された日本兵の死者は北〈読谷〉飛行場で13名〈胴体着陸に成功した機体内で発見された3名を含む〉。飛行場周辺で撃墜された他の4機には、各機とも14名ずつが乗り組んでいたと考えられ、全員が炎上した機体内やその周辺で死亡しており、その総数は69名であった。義烈空挺隊員の遺体はアメリカ海軍設営隊が埋葬している。

 激戦を間近でみていた基地の海兵隊航空将校ロナルド・D・サーモン大佐は「実に恐ろしい・・・わたしがあらゆる戦争で見た中で屈指の興奮した夜であった」と恐怖心を抱き、この戦闘を見ていたアメリカ軍従軍記者が、読谷飛行場の状況を「地獄さながらの混乱」と形容したほどの混乱ぶりであった。

私見】まさしく神風特攻隊の集団攻撃特殊部隊版だ。義烈とは正義を守る心が強く激しいこと。激しく散った空挺隊員の鎮魂を忘れてはなるまい。