ホリショウのあれこれ文筆庫

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第953話 4日間の軍政が布かれた館山市

序文・勇み足のアメリカ軍

                               堀口尚次

 

 東京湾要塞の一角として軍事上の要衝である千葉県館山市だけは、9月3日から4日間の軍政が敷かれた。高校教師からNPO法人安房文化遺産フォーラム代表に転じた愛沢伸雄らの調査などを総合すると、主な経過は以下のとおりであった。

 館山は連合軍進駐に伴う日本軍諸部隊の第一次撤退地域の中にあった。8月22日5時発表の大本営及帝国政府発表でも、警察や海軍保安隊など治安維持のための人員を残して撤収することが明記されていた。連合軍先遣隊の進駐は8月26日から、先遣隊のうち沿岸水域を占領する部隊の進駐は1日早い8月25日からそれぞれ予定されていたが、折から襲来した台風によって2日順延となった。2日後の8月28日から厚木飛行場を手始めに先遣隊が日本に進駐を開始し、同じ8月28日に「アメリ8軍の一部が9月1日に立山航空基地に上陸して占領を行う」ことを日本側に通告した。8月30日、館山では基地周辺の一般住民に退去を通告した上で、房総西線那古船形駅以南と房総東線安房鴨川駅以南を運転休止にし、上陸してくるアメリカ第8軍を無事に迎え入れる準備を終えた。

 8月31日午前、アメリカ第8軍先遣隊の一部235名が館山に上陸したが、この日に上陸した部隊の風紀はよくなく、9月1日にかけて乱暴狼藉物品略奪および一般人の拉致暴行が合計36件記録された。次いで9月3日9時20分、上述の重光・マッカーサーの会談からさかのぼること約1時間前、アメリカ第8軍第11軍団第112騎兵連隊約3,500名が館山に上陸し、司法・商業・娯楽および教育に関する制限令を次々に発して事実上の軍政を開始した。市民の夜間外出も午後7時から午前5時までの間は禁止となった。館山の終戦連絡委員会はこの事態に驚き、「〈館山での軍政は〉ポツダム宣言の条項と矛盾し、一般の市民生活に大きな障害を与えている」旨を日本政府に伝えた。9月5日には一部報道機関も館山での軍政を伝えたものの、翌9月6日に訂正報道があり軍政が「否定」された。9月7日にいたり、学校の再開や慰安施設の許可などが出され、事実上の軍政は一応の終わりを告げた。