ホリショウのあれこれ文筆庫

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第954話 恵方巻

序文・恵方参りが起源

                               堀口尚次

 

 恵方巻とは、節分に恵方を向いて無言で食べると良いとされる、切り分けられていない太巻の寿司のこと。かつては関西圏で節分時に恵方の方角を向いて「丸かぶり」「丸かぶり寿司」「太巻き寿司」と呼ばれる、切り分けられていない太巻き寿司を頬張りながら食べるという独自の食文化風習であったが、平成1年にセブンイレブンが最初に非関西圏の広島県の一部店舗で「恵方巻」と名付けて売り出したところ売れ行きが良く、年々販売地域を拡大していった。そして、平成2年代に関西圏外の各種スーパーやコンビニでも扱われだしたことで日本全国へ普及した。商都大阪発祥の風習と言われているが、その起源の定説は未だ存在せず不明な点が多い。

 節分の追儺(ついな)〈豆まきと鬼〉は元々宮中大晦日の行事であった。歳徳神(としとくじん)のいる明け方・「恵方」へ歳徳棚の向きをあわせ餅を飾り年神を迎える正月の習慣は、今も平安京内裏南にある神泉苑で行われる大晦日歳徳神恵方廻し〈方違え式〉にて観られる。明治時代の辞書では年越しは大晦日と節分を意味していた。新暦太陽暦〉へ移行する前は、太陰暦の1月〈睦月〉は新暦の2月頃に当たり、睦月は春を意味していた。

 現在は「節分の夜に、恵方に向かって願い事を思い浮かべながら丸かじり〈丸かぶり〉し、言葉を発せずに最後まで食べきると願い事がかなう」とされる。「目を閉じて食べる」、あるいは「笑いながら食べる」という人もおり、これは様々である。また太巻きではなく「中細巻」や「手巻き寿司」を食べる人もいる。近畿地方の表現である「丸かぶり」という言葉から、元々は商売繁盛家内安全を願うものではなかった、との考察もある。

 関西地方では、恵方詣りは元日よりも節分に盛んに行われていた。節分に恵方に向かって太巻きを食べる慣習〈いわゆる「恵方巻」〉は、関西で節分と恵方が結びついていた名残である。明治時代に鉄道会社の集客競争の中で節分以外にも恵方が持ち込まれるようになり、関西の人々は元日などにも恵方への参詣を行うようになった。しかしながら、鉄道会社が熾烈な競争の中で自社沿線の神社仏閣をめいめいに恵方であると宣伝し始めたため、やがて恵方の意味は埋没した。大正末期以降、関西では方角にこだわらない「初詣」が正月行事の代表として定着し、恵方詣りは衰退した。