ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1038話 加藤清正の虎退治

序文・清正公さん

                               堀口尚次

 

 加藤清正は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助。熊本などでは現代でも、清正公(せいしょうこう)さんと呼ばれて親しまれている〈清正公信仰〉。これは、ひとえに新田開発や治水工事で実績を上げたことによるところが大きい。

 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、「賤ケ岳の七本槍」の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。文禄の役の際の京城攻めでは、出世を競う小西行長と一番乗りを争った。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ケ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年従三位を追贈されている。

 清正が少年時代、上河原〈津島市上河原〉の叔父の家にいた時、盗賊が押し入った。叔父夫婦は縛られたが、清正は鬼の面を被ってつづらに隠れた。重みのあるつづらを財宝だと勘違いした盗賊たちは持ち去って松原に来たところで開けると、清正が飛び出してきたため鬼だと思い込み逃げ去った。現在、叔父の屋敷跡と伝えられる地に「清正公社」が建てられている。 

 「加藤清正の虎退治」とは、『天下統一を果たした秀吉は朝鮮に野望の目を向け全国の人名に出陣の号令を発した。九州に集まった軍は約30万にのぼり、文禄元年秀吉は加藤清正小西行長を総大将とする第一陣を朝鮮に派兵した。渡鮮した軍は敵の攻撃や種々の病の為、苦戦を強いられていた。ある村の近くに陣を取った清正の所に重臣の加藤典三右エ門が最近この辺に虎が出没し村をおそったり、田畑を荒らして村人が困っているとの話を清正に伝えた。これを聞いて清正は翌日典三右エ門と供に村に行き村娘の案内で虎のいる所に出かけた。目前に大きな虎が現れ、槍を手にした清正は見事大虎を退治し村を救った。』というもの。史実ではないが英雄伝説として伝わっている。幕末になるとコレラ〈ころり=虎狼狸〉の流行が問題視されたが、虎狼狸には「虎」が入っているからという理由で「朝鮮出兵での虎退治の伝説がある清正なら虎狼狸も退治してくれるのでは」という期待からコレラの鎮静を祈願する人もいたとされる。

 尚、日本手話における「加藤(カトウ)」の手話単語の1つに「両手で槍を持って前に突き出す」動作を真似たものがある、これは加藤清正の虎退治の故事にちなんだものといわれ、長槍がカトウをイメージさせることに由来するとされている。

                     ※筆者撮影