ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1037話 おわら風の盆

序文・哀切感に満ちた旋律

                               堀口尚次

 

 おわら風の盆は、富山県富山市八尾地区で、毎年9月1日から3日にかけて行われている富山県を代表する行事〈年中行事〉である。

 越中おわら節哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。おわら風の盆が行なわれる3日間、合計25万人前後の見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。

 おわらの起源は、江戸時代の元禄期にさかのぼると伝えられている〈『越中婦負郡志』〉。それによると、町外に流出していた「町建御墨付文書」を町衆が取り戻したことを喜び、三日三晩踊り明かしたことに由来するのだという。

風の盆」の名称の由来については、風鎮祭からともお盆行事からともいわれるが、はっきりとしたことはわからない。

 越中おわら節は、富山県富山市八尾地域で歌い継がれている民謡である。毎年多くの観光客が訪れるおわら風の盆では、この越中おわら節の旋律にのせて踊り手が踊りを披露する。この民謡の起源については諸説ある〈「お笑い節」説、「大藁節」説、「小原村発祥説」など〉。この唄はキーが高く息の長いことなどから、島根県出雲地方や熊本県天草市の「ハイヤ節」など、西日本の舟歌が源流になったものとの指摘があるが、長い年月を経るとともに洗練の度を高め、今日では日本の民謡のなかでも屈指の難曲とされている。

 かつてのおわら踊りがどのようなものであったかを伝える史料は少ないが、天保年間に活躍した浮世絵師・鈴木道栄が丸山焼の下絵として描いた絵図が残っている。そこでは満月を仰いで踊る5人の女性が描かれている。

 おわら風の盆の町流しの原型といわれる「町練り」については、もう少し以前にさかのぼり、元禄年間、町外に流出していた「町建御墨付文書」を町衆が取り戻したことを喜び、三日三晩踊り明かしたことに由来するという〈『越中婦負郡志』〉。そのころは阿波踊り同様、おもしろおかしく踊っていたらしい〈そのことから、阿波踊りと何らかの交流があったとする説もある〉。後に、品格を高める、ということから現在の、おわら節を使うようになった、という説がある。