ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1049話 三途川の賽の河原

序文・地獄餓鬼畜生

                               堀口尚次

 

 三途川(さんずのかわ)は、此岸(しがん)〈現世〉彼岸(ひがん)あの世を分ける境目にあるとされる三途は仏典に由来し、餓鬼道畜生道地獄道を意味する。ただし、彼岸への渡川・渡航はオリエント起源の神話宗教からギリシア神話にまで広く見られるものであり、三途川の伝承には民間信仰が多分に混じっている。

 三途川の出典は『金光明経』1の「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」である。この地獄・餓鬼・畜生を三途三悪道〉といい、これが広く三悪道を指して三途川と称する典拠であるといわれる。しかしながら俗に言うところは『地蔵菩薩発心因縁十王経』の「葬頭河曲。於初江辺官聴相連承所渡。前大河。即是葬頭。見渡亡人名奈河津。所渡有三。一山水瀬。二江深淵。三有橋渡」に基づいて行われた十王信仰〈閻魔大王は十王のうちの1人〉による。

 この十王経は中国で成立した経典であり、この経典の日本への渡来は飛鳥時代と思われるが、人々に知られるようになったのは平安時代中期、信仰として広まったのは平安時代の末期とされる。一説には、俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。

 三途川の河原は「賽の河原」 と呼ばれる。賽の河原は、に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために積石塚または石積みの塔を完成させると、供養になる。しかし完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうと言う。こうした俗信から「賽の河原」の語は、「報われない努力」「徒労」の意でも使用される。しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされる。ただし、いずれにしても民間信仰による俗信であり、仏教とは本来関係がない。

 賽の河原は、京都の鴨川と桂川の合流する地点にある佐比の河原に由来し、地蔵の小仏や小石塔が立てられた庶民葬送が行われた場所を起源とする説もあるが、仏教の地蔵信仰と民俗的な道祖神である賽の神〈塞の神〉が習合したものであるというのが通説である。