序文・スサノオをもてなした
堀口尚次
蘇民将来(そみんしょうらい)は、備後国風土記に記された人物であり、日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰となっている。こんにちでも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神(くにつかみ)系の神〈おもにスサノオ〉を祀る神社で授与されており、災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰される。また、除災のため、住居の門口に「蘇民将来子孫」と書いた札を貼っている家も少なくない。なお、岩手県県南では、例年、この説話をもとにした盛大な蘇民祭がおこなわれる。陰陽道では天徳神と同一視された。
古くは鎌倉時代中期の卜部兼方(うらべのかねかた)『釈日本記』に引用された『備後国風土記』の疫隈国社(えのくまのくにつやしろ)〈現広島県福山市素戔嗚神社に比定される〉の縁起にみえるほか、祭祀起源譚としておおむね似た形で広く伝わっている。
すなわち、旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうのかみ)を裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、蘇民の娘を除いて、〈一般的・通俗的な説では弟の将来の一族を、〉皆殺しにして滅ぼした。武塔神はみずから速須佐雄能神〈スサノオ〉と正体を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする。
武塔神や蘇民将来がどのような神仏を起源としたものであるかは今もって判然としていない。武塔神については、密教でいう「武答天神王」によるという説と、尚武の神という意味で「タケタフカミ〈武勝神〉」という説が掲げられるが、ほかに朝鮮系の神とする説もあり。
京都祇園社の祇園祭は、元来は御霊を鎮めるためにおこなわれたのが最初であったが、平安時代末期には疫神を鎮め、退散させるために花笠や山車を出して市中を練り歩く「夜須礼(やすらい)」の祭祀となった。山車につけられた山鉾は空中の疫鬼を追いこむための呪具、花笠は追い立てられた厄鬼を集めてマツの呪力で封じ込めるための呪具であり、また、祭りの際の踊りは、本来、地に這う悪霊を踏み鎮める呪法であった。悪霊や疫鬼は、これらによって追い立てられて祇園感神院〈八坂神社〉に集められるが、そこには蘇民将来がおり、また、疫鬼の総元締めであるスサノオが鎮座して、その強い霊威によって悪霊や疫鬼の鎮圧・退散が祈願されたのである。