ホリショウのあれこれ文筆庫

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第640話 ちはやぶる神代も聞かず竜田川

序文・からくれなゐに水くゝるとは

                               堀口尚次

 

 在原業平(ありわらのなりひら)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人平城天皇の孫。官位は従四位上蔵人頭・右近衛権中将。『日本三大実録』の卒伝に「体貌閑麗(たいぼうかんれい)、放縦不拘(ほうしゅうふかかわ)」と記され、昔から美男の代名詞とされる。

 筆者の地元・愛知県東海市富木島町には「五輪塔業平塚」なるものがある。市の文化財のHPの説明によると『鎌倉時代の特徴をもった古い五輪塔が7基あり、いちだんと形の良い塔を業平塚と呼んでいます。これらの五輪塔は、この地を治め、良忍上人を生んだ藤原氏の一族が、業平と都から業平をしたってこの地に来て、悲恋の死をとげた女官あやめの菩提塔として建てたものといわれており宝珠寺移転前の寺院墓地でした。今も業平信仰は、知恵と長寿の利益があり、歌詠みは良き歌が詠め、寿命が延び、頭が良くなり、美人になるとされています。』とある。

 また、近くの宝珠寺には「在原業平位牌」もあり、こちからも市のHPによると『制作は室町時代の天文初期と思われます。位牌に刻まれた文字には、在原業平の名前が読み取れます。歴史上では、在原業平は元慶4年に病気のため56歳でなくなったとされていますが、この地には、信仰厚き観音菩薩貴船大明神の加護により助かり、以後、都との連絡を絶ち、隠とん生活をして、10年の長生きで、寛平元年ころに富田の屋敷で亡くなったという伝説があります。』とある。

 更に、この業平塚の近くに「貴船神社〈社殿はなく祠のみ〉」があるが、石碑の御由来によると『在原中将業平親王東下りの途中当地に滞在の折り、山城國貴布称大明神を勧進して祀られたもので時代は清和天皇貞観年中である』とある。因みに現在の住所は「東海市富木島町貴船」である。

 業平がモデルと言われる人物はさまざまな物語や文献に登場している。業平に関連した伝説は各地に伝わっている。

 尚、有名で代表的な歌として『ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは — 』「古今和歌集」「小倉百人一首」撰歌がある。