ホリショウのあれこれ文筆庫

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第973話 倶利伽羅峠の戦い「火牛の計」

序文・創作に火がついた

                               堀口尚次

 

 倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い、または、砺波山(となみやま)の戦いは、平安時代末期の寿永2年に、越中加賀国の国境にある砺波山の倶利伽羅峠〈現富山県小矢部市-石川県河北郡津幡町〉で源義仲軍と維盛(これもり)率いる平家軍との間で戦われた合戦治承・寿永の乱における戦いの一つ。

 『玉葉』には「官軍〈平家軍〉の先鋒が勝ちに乗じ、越中国に入った。義仲と行家および他の源氏らと戦う。官軍は敗れ、過半の兵が死んだ」とのみ記されている。また『源平盛衰記』には、義仲が400~500頭の牛の角に松明をつけて平家軍に突進させ谷底へ落としたという「火牛(かぎゅう)計(けい)」のエピソードを載せるが、『平家物語』諸写本には全く見られない記述であり、この逸話は中国の戦国時代に斉の将軍・田(でん)単(たん)が、火牛の計で燕(えん)軍を破った故事をもとに創作されたと考えられている。

 「火牛の計」とは、牛を使った戦法のこと。中国の戦国時代の斉の田単や、日本では木曾義仲が用いたとされる戦法で、牛の角に刀剣をくくりつけ、それらの牛の尾に火付けて、敵陣に突撃させる戦法のこと。

 源平火牛まつりは、富山県小矢部市石動地区〈旧 石動町〉で毎年7月最終土曜日に行われる祭で、メインイベントとして「火牛の計レース」が行われる。

 まつりは平成8年より行なわれ、メインイベントの「火牛の計レース」は、倶利伽羅峠の戦いで、源義仲が牛の角にたいまつを付けて放った奇襲攻撃で平家軍に大勝した故事にちなんで平成11年より行われ、藁(わら)でできた巨大な牛を引いてタイムを競う。一般・子供の部があり午後に予選、夜に決勝レースが行われる。レースでは角部分に火が点けられる。藁で出来た一般の部の牛は、長さ4.0m、高さ2.5mの鉄骨の台車に大量のむしろや藁を使用し、牛の形に肉付けしたもので、重量は約700Kgある。なお子供の部の牛は約150Kgである。