ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第316話 木曽義仲の嫡男・義高と大姫の運命

序文・源氏同士の争いの犠牲に

                               堀口尚次

 

 源義仲は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝義経兄弟とは従兄弟にあたる木曾義仲の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍旭将軍と呼ばれている。

 以仁王(もちひとおう)の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦い平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉と荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇後鳥羽天皇を幽閉して征夷大将軍となるが、源頼朝が送った源範頼義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。

 甲斐源氏武田信光が娘を義仲の嫡男・義高〈清水冠者に嫁がせようとして断られた腹いせに、義仲が平氏と手を結んで頼朝を討とうとしていると讒言(ざんげん)〈事実をまげいつわって人を悪く言うこと〉したとしている。両者の武力衝突寸前に和議が成立し、3月に義高を人質として鎌倉に送ることで頼朝との対立は一応の決着がつく。

 父・義仲が討たれたことにより、人質として鎌倉にいた義高の立場は悪化する。頼朝が義高を誅殺しようとしていることを知った大姫〈頼朝と政子の娘〉は、義高を密かに逃がそうとする。義高は女房姿に扮して大姫の侍女達に囲まれ屋敷を抜けだし、大姫が手配した馬に乗って鎌倉を脱出する。しかし夜になって事が露見し、激怒した頼朝は軍兵を派遣して義高を討ち取るよう命じた。義高は武蔵国で追手に捕らえられ、郎党・藤内光澄に討たれた。享年12。義高の死を知った大姫は嘆き悲しみ病床に伏してしまう。母の政子は義高を討ったために大姫が病になってしまったと怒り、義高を討った郎従の不始末のせいだと頼朝に強く迫り、光澄は晒し首にされた。

 大姫は6歳の時に頼朝と対立した木曽義仲との和睦のため、義仲の嫡男・義高と婚約するが、義仲の敗北に伴い義高が処刑されたことに衝撃を受け、心は深く傷付き、その後十余年を経ても義高への思いに囚われては床に伏す日々が続いたという。のちの縁談も拒み通し、後鳥羽天皇への入内(じゅだい)〈嫁がせる〉の話も持ち上がったが実現する事無く20歳で早世した。