ホリショウのあれこれ文筆庫

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第291話 八重姫と北条政子の関係

序文・平家と源氏の板挟み

                               堀口尚次

 

 八重姫は、平安時代末期の女性。伊豆国伊東庄〈現・静岡県伊東市〉の豪族であり、頼朝の監視役であった伊東祐親(すけちか)の三女。源頼朝の最初の妻とされる。頼朝の初子・千鶴御前〈千鶴丸〉の母。八重姫は、延慶(えんぎょう)本〈口伝ではなく手書きで伝承された物語〉『平家物語』『源平衰退期』『源平闘諍(とうじゅう)録』『曽我物語』などの物語類にのみ登場し、同時代史料や『吾妻鏡』など後世の編纂史料には見えない。また、物語類にも名は記されておらず、「八重姫」の名は室町後期から江戸期にかけて在地伝承として生まれた名だと思われ、文献では江戸時代末期の伊豆の地誌『豆州誌稿』に初めて現れる。

 『曽我物語』によれば、14歳で伊豆国流罪となり、平清盛の命により在地豪族の伊東祐親の監視下で日々を送っていた頼朝は、祐親が大番役〈京の警護〉で上洛している間に祐親の三女〈八重姫〉と通じ、やがて男子を一人もうけて千鶴御前と名付けた。千鶴御前が3歳になった時、大番役を終えて京から戻った祐親は激怒し、「親の知らない婿があろうか。今の世に源氏の流人を婿に取るくらいなら、娘を非人乞食に取らせる方がましだ。平家咎(とが)めを受けたらなんとするのか」と平家への聞こえを恐れ、家人(けにん)に命じて千鶴を轟ヶ淵(とどろきがふち)に柴漬(ふしづけ)〈柴で包んで縛り上げ、重りをつけて水底に沈める処刑法〉にして殺害し、娘を取り返して同国の住人・江間の小四郎に嫁がせた。さらに頼朝を討つべく郎党を差し向けたが、頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた祐親の次男・祐清(すけきよ)が頼朝に身の危険を知らせ、頼朝は祐清の烏帽子親(えぼしおや)〈元服儀式を執り行った者〉である北条時政の邸に逃れたという。時政の下で暮らすようになった頼朝は、やがて時政の長女・政子〈北条政子〉と結ばれることになる。

 『曽我物語』では八重姫は、密かに伊東館を抜け出して頼朝のいる北条館を訪れたが、すでに頼朝は政子と恋仲になっていたため真珠ヶ淵に身を投げて入水自殺したとされてい尚、八重姫が夫・江間の小四郎の戦死後、「阿波局」という女房名で頼朝の御所で働くようになり、江間氏の所領を受け継いだ北条義時と再婚して、北条泰時を産んだのではないかとの仮説を提示している歴史学者もいる。

 現在放映中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、八重姫〈役・新垣結衣〉と北条義時〈役・小栗旬〉の関係性が演出されている。

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