ホリショウのあれこれ文筆庫

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第974話 神仏習合の妙見菩薩

序文・お寺に鳥居

                               堀口尚次

 

 妙見(みょうけん)菩薩は、北極星または北斗七星を神格化した仏教天部の一つ。尊星王(そんしょうおう)、妙見尊星王、北辰(ほくしん)菩薩などとも呼ばれる。

 妙見信仰は、インドで発祥した菩薩信仰が、中国で道教北極星北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したものである。「菩薩」とは、本来「ボーディ・サットヴァ」の音写で、「菩提を求める衆生」の意であり、十界(じっかい)では上位である四聖〈仏・菩薩・縁覚(えんがく)・声聞(しょうもん)〉の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿(せいしゅく)思想から北極星を神格化したものであることから、形式上の名称は菩薩でありながら実質は大黒天や毘沙門天・弁財天と同じ天部に分類されている。

 道教に由来する古代中国の思想では、北極星〈北辰〉は天帝〈天皇大帝〉と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、「妙見菩薩」と称するようになったと考えられる。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。

 妙見信仰は中国の南北朝時代には既にあったと考えられているが、当時からの仏像は未だに確認されていない。妙見を説く最古の経典は普代失訳『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』である。ここでは、妙見菩薩の神呪(しんじゅ)を唱えることで国家護持の利益を得られるとされている。唐代に入ると妙見信仰が大きく発展し、妙見関連の経典や行法が流布した。円仁の旅行記『入唐求法巡礼行記』から、当時の中国では妙見信仰が盛んであったことが窺える。

 妙見信仰が日本へ伝わったのは7世紀〈飛鳥時代〉のことで、高句麗百済出身の渡来人によってもたらされたものと考えられる。当初は渡来人の多い近畿以西の信仰であったが、渡来人が朝廷の政策により東国に移住させられた影響で東日本にも広まった。

 中世においては、鷲頭氏、大内氏、千葉氏や九戸氏(くのへし)が妙見菩薩を一族の守り神としていた。千葉氏は特に妙見信仰平将門伝承を取り込み、妙見菩薩氏神とすることで一族の結束を図った。千葉氏の所領であった地域にも、必ずと言っていいほど妙見由来の寺社が見られる。千葉氏の氏神とされる千葉妙見宮は源頼朝から崇拝を受けたほか、日蓮も重んじた。また、千葉氏が日蓮宗中山門流の檀越(だんえつ)であった関係で妙見菩薩日蓮宗寺院に祀られることが多い