ホリショウのあれこれ文筆庫

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第711話 武将が信仰した摩利支天

序文・徳川家康も信仰

                               堀口尚次

 

 摩利支天(まりしてん)〈 梵: Mārīcī、マーリーチー、訳:陽炎、威光〉は、仏教の守護神である天部の一尊。梵天の子、または日天(にちてん)の妃(きさき)ともいわれる。摩里支菩薩、威光菩薩とも呼ばれる。

 摩利支天〈マーリーチー〉は陽炎、太陽の光、月の光を意味する「マリーチ」〈Marīci〉を神格化したもので、由来は古代インドの『リグ・ヴェーダ』に登場するウシャスという暁の女神であると考えられている。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形(おんぎょう)の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった

 護身や蓄財などの神として日本で中世以降信仰を集めた。楠木正成は、兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就立花道雪は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。山本勘助前田利家立花宗茂といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。禅宗日蓮宗でも護法善神として重視されている。

 日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽社〈摩利支天山〉、乗鞍岳〈摩利支天岳〉、甲斐駒ヶ岳があげられる。

 日本には忍者が結ぶ印の基になった、戦場に臨む武士が行う修法「摩利支天の法」が存在し、摩利支天は武士の守り本尊として鎌倉時代から武士に人気があった。方法は、右手と左手の人差し指と中指をそれぞれ立て、右手を刀、左手を鞘に見立て、右手で空中を切る。空中を切った後、刀に見立てた右手指は、鞘に見立てた左手に納める。

 徳川家の信仰が厚い、浜松市の金光明山光明寺奥の院には、徳川家康が信仰した摩利支天が祀られている。東京都台東区上野の日蓮宗徳大寺に奉置される摩利支天像の姿は、左手をかかげ、右手に剣を持ち、走るイノシシの上に立つものである。元来、厄を除き運を開く勝利の守護神であり、武士や芸道者に多く信仰を集めた。その由来から武人の誉れ高い神を祀る寺として、戦前においての徳大寺は半ば神社並みの寺風を擁していた。