序文・軍隊も縦割り社会
堀口尚次
三式潜航輸送艇は、日本陸軍の潜水艦。通称の「まるゆ〈○の中に「ゆ」と書く〉」で知られる。「ゆ」は「輸送用」の頭文字。1型と2型があり、主に輸送任務で用いられた。計画時の呼称は「イ号特種艇」。 レイテ島の戦い〈多号作戦〉で3隻が実戦投入され、輸送任務に成功した艇もある。陸軍は最終的には400隻以上の建造を計画していたが、終戦までに完成したのは38隻に留まった。
陸軍における独自の輸送艇の構想は、昭和17年3月ごろには陸軍参謀本部の船舶・運輸関連部門の佐官の間にて立案されており、「貨物輸送艇」としての設計・研究が行われていたとされるが、潜水艦を輸送艇とするより具体的な計画は太平洋戦争中の南東方面戦線〈ガタルカナル島攻防戦、ニューギニア攻防戦〉において、日本陸軍が補給に苦しんだことをきっかけに立案された。
陸軍がこのような船種を単独で開発する事となった経緯には、同年9月のラバウル方面を議題とした兵棋(へいぎ)演習〈状況を図上において想定した上で作戦行動を再現して行う軍事研究〉の席上、モグラ輸送〈潜水艦輸送→因みに駆逐艦の場合はネズミ輸送〉で第六艦隊隷下(れいか)の伊号潜水艦に多大な損害を受けた日本海軍が、伊号潜水艦は輸送の任から外して本来任務の艦隊攻撃に専念したい事、輸送任務には新たに輸送用の波号潜水艦を陸軍に提供する事で代替とするが、輸送に従事する兵員は操艦要員も含めて全て陸軍からの供出を要求する提案を出した事が背景にあるとされる。同年12月、陸軍参謀本部はこの提案の検討の結果、実際の輸送潜水艦運用の権限が海軍に握られる恐れのある「波号潜水艦に陸軍船舶兵を供出する海軍案」を一蹴し、独自に潜水艦を一から建造する事を決断したという。
第二次世界大戦中に陸軍で潜水艦を建造・運用させていたのは日本陸軍だけである。そのため、潜航輸送艇は日本の陸海軍の意思疎通と連携の悪さ、日本陸軍の縦割り意識、日本海軍の艦隊決戦偏重などの弊害例として挙げられることが多い。
なお、三式潜航輸送艇は日本海軍艦艇の軍艦旗である旭日旗とは異なる陸軍風の日章旗を掲げ、あるいはセイルに描いて運用され、このことも混乱に拍車をかけた。