ホリショウのあれこれ文筆庫

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第772話 原爆を運んだインディアナポリスの最期

序文・極秘任務

                               堀口尚次

 

 インディアナポリスは、アメリカ海軍のポートランド重巡洋艦。艦名はインディアナ州インディアナポリスに因む。1945年7月26日にテニアン島原子爆弾を運んだ後、7月30日フィリピン海日本海潜水艦58〈回天特別攻撃隊・多聞隊の雷撃により沈没した第二次世界大戦中に敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇である。

 広島と長崎へ投下されることとなる原子爆弾用の部品と核材料を急ぎテニアン島へ運ぶよう命じられた。任務の緊急性から修理後の調整期間に先立って7月16日サンフランシスコを出港し7月19日に真珠湾に寄港した。インディアナポリスは単独でテニアンに向かい7月26日テニアンに到着した。

 テニアン最高機密の荷物を届けた後インディアナポリスはグアムに派遣され7月28日レイテ島へ向け艦隊ではなく単独でグアムを出港し、直線コースを取りレイテ島へ向かった。7月30日0時15分、日本海軍の潜水艦が、九五式魚雷を 初回発射3本、数秒おいて2回目発射3本の計6本を全門発射したうちの3本が右舷に命中、船体を鋭く貫いた魚雷が爆発。特に時差発射した2回目の魚雷が、1発目が船体に開けた穴に入り込み奥で爆発、艦内第二砲塔下部弾薬庫の主砲弾を命中と同時に誘爆させ、同艦は夜空に大きく火柱を吹き上げると、艦前半部を海に突っ込みながら浮いていたが、12分後に転覆、沈没した。

 乗員1,199名のうち約300名が攻撃で死亡し、残り約900名は8月2日に哨戒機によって初めて発見されてから5日後に救助が完了するまで、救命ボートなしで海に浮かんでいたが、水、食料の欠乏、海上での体温の低下、これらからおこった幻覚症状、気力の消耗などで多数の乗組員が死亡した。それに加えサメによる襲撃が心理的圧迫を強くした。その後映画およびディスカバリーチャンネルの番組等で、サメの襲撃が演出として過剰に語られたため、大多数がサメの襲撃の犠牲者になったかのように思われているが、おもな原因は救助の遅れと体力の消耗が死亡の原因といわれている。最終的に救助された生存者はわずか316名であった。

 映画「ジョーズ」では元インディアナポリスの乗組員が、サメの恐怖から命さながら生き延びた体験談を語る場面があり印象的だ。