ホリショウのあれこれ文筆庫

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第864話 プロペラ同調装置

序文・戦闘機の秘策

                               堀口尚次

 

プロペラ同調装置」とは、戦闘機のプロペラの後ろから、そのプロペラを撃ち抜かないように機関銃を発射する装置第一次世界大戦中にドイツのフォッカー社が開発し、フォッカーE.Iに初めて装備された。フォッカーE.I自体は大した性能では無かったのだが、連合国側が同様にプロペラ同調装置を開発するまでは一方的に連合国軍機を撃墜した。以後にに開発されたレシプロ軍用機の多くが搭載している。それ以前の飛行機が機関銃を搭載する際には、プロペラの裏に防弾板を取り付けて当たる弾を弾き飛ばしたり、プロペラを胴体の後ろに配置するなどの対策が取られていた。

 フォッカー アインデッカーは、オランダ人技術者アントニー・フォッカーが設計した第一次世界大戦時のドイツの単座単葉〈一人乗り・羽根が一枚〉戦闘機であり、パイロットがプロペラを打ち抜くことなくその回転面を通して機関銃を発射することのできる同調装置を備え、対空戦闘を目的に量産された最初の戦闘機でもあった。その威力は「フォッカーの懲罰」として連合国から恐れられた。フォッカーの懲罰とは、第一次世界大戦中の1915年夏、連合軍の軽武装偵察機に対してドイツ帝国陸軍航空隊のフォッカー単葉戦闘機が猛威をふるったことを指してイギリスのメディアが生み出した見出し語である。

 日本の戦闘機・零戦の開発段階でも使用されている。深海正治は、久留米高等工業高校〈現 : 九州大学工学部〉精密機械科を卒業後、旧海軍の技術士官に採用され、大尉に任官。終戦まで機銃や零式艦上戦闘機同調発射装置の設計を担当終戦後の昭和23年にオリンパス光学工業に入社。昭和24年、諏訪工場から杉浦睦夫が主任技師を務める研究所に異動。東京大学医学部附属病院副手の宇治達郎から胃の内部を撮影するカメラの製作を杉浦とともに依頼され、海軍時代に銃身内部の検査を行う装置を研究していたことを活かし、食道よりも細い管の中にカメラの全ての機能を詰め込む設計を考案。胃カメラの開発に貢献する。その後、オリンパス光学工業専務を経て、オリンパス精機社長。

私見】戦時中に戦闘機・零戦同調装置の設計に携わり、その機銃で敵を殺戮(さつりく)する使命を帯びていた人が、戦後になりその技術力から、胃カメラの開発に尽力し、多くの人命を救ったことは、運命の悪戯(いたずら)というか、宿業(しゅくごう)を感じた。