ホリショウのあれこれ文筆庫

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第612話 幻の超大型戦略爆撃機「富嶽」

序文・アメリカのB-29より大きい

                               堀口尚次

 

 富嶽(ふがく)は、大東亜戦争中に日本軍が計画した、アメリカ本土爆撃を目的にした6発の超大型戦略爆撃機である。名は富士山の別名にちなむ。

 昭和17年アメリカ軍による初の日本本土空襲と、日本軍による初のアメリカ本土空襲が行われた。この年、中島飛行機創始者である中島和久平が立案した『必勝防空計画』に書かれていた、アメリカ合衆国本土を空襲した後にそのままヨーロッパまで飛行し、同盟国であったナチス・ドイツまたはその占領地に着陸することが可能な大型長距離戦略爆撃機「Z飛行機」構想が、のちの富嶽である。

 アメリカ本土爆撃を視野に入れ、日本を飛び立ち太平洋を横断してアメリカ本土を爆撃、そのまま大西洋を横断してドイツに寄り補給を受け、再び逆のコースでアメリカを再攻撃しながら戻ってくるか、またはソ連を爆撃しつつ世界bを一周すると言う壮大な計画であった。

 中島飛行機設計にかかわる。昭和18年、中島は軍令部官邸での夕食会で本機富嶽の構想を説明する。中島は、東條英機首相をはじめ、陸海軍大臣や関係者にも構想を訴えていたという

 昭和18年より中島飛行機三鷹研究所構内に組み立て工場の建設が開始された。しかし昭和19年、日本軍は陸海軍当事者、軍需省、関係製作会社を集めて超重爆撃機富嶽」の研究を続行するかを検討した。富嶽を予定どおり生産した場合、日本陸軍の四式戦闘機〈疾風〉の943機減産、海軍の陸上爆撃機銀河235機の減産を招く見通しとなった。資材、工作機械、技術研究の観点から、富嶽の研究は「遺憾ながら中止せざるを得ない」との結論に至った

 日本軍は同年6月下旬のマリアナ沖海戦に敗北、絶対国防圏の東の鎖ともいうべきサイパンも7月6日に陥落、最大の支援者であった東條首相は周囲からの排斥によって7月18日に辞職した。本土防空戦のための戦闘機開発優先・開発機種削減方針により、「この戦争に間に合わない」と判断された富嶽開発は中止となった。

 因みに富嶽の仕様は全長45m〈米軍が太平洋戦争で実戦投入した4発戦略爆撃機ボーイングB-29の1.5倍〉、全幅65 m〈B-29の1.5倍〉、爆弾搭載量20トン〈B-29の2.2倍〉、航続距離は19,400㎞〈B-29の3倍〉、6発エンジン。