ホリショウのあれこれ文筆庫

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第429話 戦時猛獣処分

序文・戦争の悲劇はこんなところにも

                               堀口尚次

 

 戦時猛獣処分とは、戦争時において動物園の猛獣が逃亡して被害を及ぼすのを未然に防止する目的で、殺処分することを言う。歴史上では、連合国軍による本土空襲に備えて第二次世界大戦中の日本で行われた一連の事件が知られており、日本ではこの事件を指すのが慣用である。

 第二次世界大戦中の昭和18年以降に、日本各地の動物園で戦時猛獣処分が行われた。この措置は軍ではなく、都道府県や市町村などの行政機関によって命じられた。飼料不足も重なって、多数の飼育動物が戦争中に死亡した。

 日中戦争中の昭和14年頃から空襲時の猛獣脱走対策が本格的に検討されるようになった。初の全国動物園長会議では、研究課題の一つとして空襲時の猛獣脱走対策が挙げられ、檻の防護や殺処分などが検討された。これは、当時は日本領だった台湾へ中国空軍による渡洋爆撃が行われたのを踏まえての研究であった。昭和11年上野動物園クロヒョウ脱走事件以降に上野動物園で毎年行われていた猛獣捕獲訓練も、その後のものは「空襲により檻が破壊されて脱走した」との想定で実施された。東山動物園でも、防空演習の一環として殺処分の訓練が行われている。

 日米関係が悪化して太平洋戦争が迫った昭和16年には、陸軍東部軍司令部から上野動物園に対し、非常時における対策要綱を提出するように指示が出た。これに応じ、上野動物園では『動物園非常処置要綱』を作成して提出した。この要綱では、飼育動物を危険度別に4分類し、実際に空襲が始まって火災などが迫った場合には危険度の高いものから殺処分する計画になっていた。処分方法は薬殺を原則として、投薬量リストをまとめるとともに、緊急時には銃殺するものとしていた。日米開戦後の昭和17年にドーリットル空襲〈本土発空襲〉があると、空襲の脅威は、より現実的なものとして意識されはじめた。

 逃亡予防を目的とした戦時猛獣処分が実際に始まったのは、昭和18年上野動物園が皮切りである。

 何の罪もない動物を捕獲し、展示し殺傷した。これほどの人間のエゴがあろうか。舞台裏で殺処分回避に奔走した人々がいたことに、一掬の涙を禁じ得ない。