ホリショウのあれこれ文筆庫

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第856話 夢の島

序文・ゴミの島

                               堀口尚次

 

 夢の島は、東京都江東区の町名。現行行政地名は夢の島1丁目から夢の島3丁目。町域の大部分を夢の島公園が占める。江東区の町としての「夢の島」は、人工島〈埋立地〉である「東京湾埋立14号地」のうち、湾岸道路より北の部分を占める。湾岸道路より南は新木場1丁目から4丁目である。

 埋立開始当時は東京市の飛行場が建設される予定であった。戦後間もない頃には海水浴場として賑わい、遊園地などが計画されるようになる。そのせいもあり当時のマスコミなどが埋立地を「夢の島」と呼ぶようになり、この俗称が自然と定着して、昭和44年には正式な行政地名として「夢の島」が採用された

 昭和13年東京市の「東京市飛行場」建設のために東京湾の埋め立てが開始されたのが夢の島の始まりである。当時としては世界最大級の飛行場となる計画であったが、日中戦争に伴い工事用電力の供給設備資材を確保できず、完成を見ぬまま昭和16年に工事は中止された。終戦後、GHQ羽田空港を接収し、進駐軍の大型機離着陸用として整備したため、夢の島の飛行場計画は消滅した。残された埋立地は「夢の島海水浴場」として整備され、「夢の島」という名前がこのときにつけられた。

 昭和25年代の高度成長期には東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をゴミの最終処分場として決定し、昭和32年よりゴミの埋め立てが開始された。埋め立て中の昭和36年埋立地北部から出火、消防艇3隻での消火活動も及ばず2週間に渡り燃え続け、4万平方メートルが焼失している。これは当時の総面積の約40パーセントに相当した。

 昭和40年、夢の島で発生したハエの大群が強い南風に乗って、江東区南西部を中心とした広い地域に拡散し大きな被害をもたらした。夢の島の南側に位置する南砂町の小学校ではハエ取りが放課後の日課となった。東京都と江東区による懸命な消毒作業が行われたが、抜本的な解決には至らず、警視庁・東京消防庁自衛隊の協力を得て、断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」が実行された。昭和42年にはゴミの埋め立てが終了した。

 夢の島に関係する東京ゴミ戦争は、東京都区部における廃棄物の処理・処分に関する紛争であり、昭和25年から昭和45年に江東区と杉並区の間で起きた。