ホリショウのあれこれ文筆庫

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第428話 明治天皇〈睦仁親王〉すり替え説

序文・後醍醐天皇の怨念か

                               堀口尚次

 

 明治天皇は、江戸時代最期の天皇であった孝明天皇の子であることは事実だが、孝明天皇崩御して、僅か14歳で即位した睦仁(むつひと)親王は、明治維新時にすり替えられたとする説が存在する。

 そもそもこの説は、昭和4年田中光顕(みつあき)の発言から始まる。田中光顕は11年間にわたり、宮内大臣天皇の私生活の補佐や皇族の教育の責任者〉を務めた人物で、皇室内部の表裏を知り尽くした人だといわれている。

 現在の天皇は、北朝系統を引いているといわれているが、討幕派の中心であった長州藩薩摩藩は、南朝系統こそが真の皇統だという信念があった。薩摩藩西郷隆盛の祖先は南朝の忠臣・菊池氏であり、長州藩の毛利氏が南朝系統の子孫である大室(おおむろ)寅之祐(とらのすけ)をかくまっていたとされており、これらが公家の岩倉具視と画策して、睦仁親王とすり替えたというのだ。

 幕末に長州藩の精神的な指導者となった吉田松陰は「南朝正統論者」で、弟子の伊藤博文らもその影響を受けていたとされる。長州藩出身者にすれば「大室寅之祐」を天皇にすることは「師である吉田松陰の悲願」となる。

 これを否定する説としては、鍋島藩福岡藩〉が「長州藩が次期天皇をすり替えようとしている」という情報を入手して、睦仁親王を京から脱出させ岡山でかくまっていたというもの。当時都には、伯家神道(はっけしんとう)を行っていた白川家があり、白川家は公家へ出入りできたので、白川家の学徒で書生頭で岡山出身の高濱清七郎に、孝明天皇が命じて脱出させたものだという。高濱は、生きて行くために、伯家神道の秘伝の巻物を持っていたので、金光教黒住教の教祖に売った。〈大本教出口なお金光教の宣教師だった・大本の教祖出口王仁三郎は、有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王の御落胤(ごらくいん)という説もある〉

 前述の天皇すり替え説から発展した陰謀説もある。明治天皇の替え玉として長州藩が用意したとされる大室寅之祐田布施(たぶせ)町出身であり、小さな田舎町であるにもかかわらず2名の総理大臣〈岸信介佐藤栄作〉を輩出していることを理由に、明治天皇のすり替え以来田布施町とその周辺の出身者や関係者が日本の権力構造を牛耳っているとする説で、その背後には朝鮮人ユダヤ金融資本が関わっていると主張している。

 真相は全く闇の中だが、明治維新前後の天皇家の混乱はあったようだ。

※40.明治天皇大室寅之祐とされる