ホリショウのあれこれ文筆庫

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第613話 守護使不入の目的

序文・治外法権地域設定のねらい

                               堀口尚次

 

 守護使不入(しゅごしふにゅう)とは、鎌倉時代室町時代において幕府守護やその役人に対して犯罪者追跡や徴税のために、幕府によって設定された特定の公領荘園などに立ち入る事を禁じたこと守護不入とも。

 戦国時代には幕府による権限は否定され、代わりに戦国大名が守護・国主の権限の一環としてこれを付与するようになった。

 本来、守護には大犯三カ条の義務遂行のため、本人あるいはその代理である役人・使者の国内の公領・荘園への立ち入る権利が認められていたが、鎌倉幕府国司や領家・本所との対立を回避するために、国司や領家・本所が守護による干渉を受けない特例地域を設ける事を承認していた。これは御成敗式目によって一層明確化され、不入地に犯罪者などが逃げ込んだ場合でもその追捕は国司・領家によって行われ、不入地の境界線で守護側に引き渡すと言う原則が成立した。

 足利将軍家の威光を背景に守護使不入の特権を得て、守護からの段銭徴収を拒絶し、幕府からの段銭要求に対しても幕府への直接納付が認められて守護からの加重徴収の危険を免れる事を可能とした。

 これによって一見すると守護大名の領域に治外法権地域が生まれる事になり、室町幕府の支配系統に障害が生じたかのように見られるが、実態はそれとは反対で守護領国制の強化によって守護大名による領国一円支配を阻止してその勢力拡大を抑制するとともに、特権を受けた御家人層は幕府権力への依存を強めてこの権利を維持しようと図り、幕府にとっては守護大名に対抗するための政治的・経済的・軍事的な基盤を支える支持の形成に効果があった

 だが、戦国時代に入り、幕府の権威は低下して下剋上によって幕府の力に依存せずに自力で領国を形成した戦国大名達はこの特権を否定し始めるとともに、自らの権限としてこれを付与あるいは剥奪を行うようになっていった。更に幕府によって出された守護使不入の規定に従ってきた守護大名の中からも領国の維持を名目に幕府による守護使不入の権利を公然と否定する措置を取る者が出るようになった。