序文・君側の奸とは何たるや
堀口尚次
今から86年前の昭和11年の2月26日、226事件が勃発した。陸軍青年将校らのテロによるクーデター未遂事件だ。彼らの崇高な理念は、東京都渋谷区〈旧東京陸軍刑務所跡地〉に鎮魂されている。
青年将校の考える国家改造とは、「君側の奸を倒して天皇中心の国家とする」ということであり、軍部中心の国家とすることを求めるものではなかった。統制派も青年将校も国家改造を求めていた。
青年将校たちは、日本が直面する多くの問題は、日本が本来あるべき国体から外れた結果だと考えた〈「国体」とは、おおよそ天皇と国家の関係のあり方を意味する〉。農村地域で広範にわたる貧困をもたらしている原因は、「特権階級」が人々を搾取し、天皇を欺いて権力を奪っているためであり、それが日本を弱体化させていると考えた。彼らの考えでは、その解決策は70年前の明治維新をモデルにした「昭和維新」を行う事であった。すなわち青年将校たちが決起して「君側の奸」を倒すことで、再び天皇を中心とする政治に立ち返らせる。その後、天皇陛下が、西洋的な考え方と、人々を搾取する特権階層を一掃し、国家の繁栄を回復させるだろうという考え方である。これらの信念は当時の国粋主義者たち、特に北一輝の政治思想の影響を強く受けていた。
蹶起(けっき)趣意書は、神武天皇の建国、明治維新を経た国家の発展を称(たた)え、八紘一宇を完成させる国体こそ我が国の神州たる所以(ゆえん)とし、思想は一君万民論などを基礎とする。また、元老、重臣、軍閥、政党などが国体破壊の元凶で、ロンドン条約と教育総監更迭における統帥権干犯、三月事件の不逞(ふてい)、天皇機関説一派の学匪(がくひ)、共匪(きょうひ)、大本教(おおもときょう)などの陰謀の事例を挙げ、依然として反省することなく私権自欲に居って維新を阻止しているから、これらの奸賊を誅滅(ちゅうめつ)して大義を正し国体の擁護開顕(かいけん)に肝脳(かんのう)を竭(つく)す、と述べている。
しかしながら、もともと大日本帝国憲法下では、天皇は輔弼(ほひつ)する国務大臣の副署なくして国策を決定できない仕組みになっており、昭和天皇も幼少時から「君臨すれども統治せず」の君主像を叩き込まれていた〈張作霖爆殺事件の処理に関して、内閣総理大臣田中儀一を叱責・退陣させて以降は、その傾向がさらに強まった〉。こうして、蹶起した青年将校らと昭和天皇との温度差は歴然とあり、崇高な理念は文字通り「崇高な理念」として鎮魂されているのだ。