ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第796話 人間爆弾「桜花」

序文・特攻兵器

                               堀口尚次

 

 桜花(おうか)は、日本海軍が太平洋戦争中に開発した特殊滑空機。特攻兵器として開発され、実戦に投入された

 「桜花」は機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器で、母機に吊るされて目標付近で分離し発射される。その後は搭乗員が誘導して目標に体当たりさせる。一一型では母機からの切り離し後に固体燃料ロケットを作動させて加速、ロケットの停止後は加速の勢いで滑空して敵の防空網を突破、敵艦に体当たりを行うよう設計されていたが、航続距離が短く母機を目標に接近させなくてはならないため犠牲が大きく、二二型以降ではモータージェットでの巡航に設計が変更されている。日本海軍では本土決戦への有力な兵器と見なし、陸上基地からカタパルト〈艦艇などから航空機を射出するための機械〉で発進させることができる四三乙型などの大量配備を図ろうとしていた。

 秘匿のため航空機に自然名を付けるという発想から航空本部の中佐によって「桜花」と命名された。初戦果を報じた昭和20年5月28日の新聞では、ロケット機「神雷」と呼称された。開発段階では発案者の名前を取り「大⃝〈マルダイ〉部品」〈○の中に「大」の文字〉とも呼ばれた。連合国側からは、自殺〈攻撃〉を行う「愚か者」の機体との意味合いで、日本語の「馬鹿」にちなんだBaka Bomb〈単にBakaとも〉というコードネームで呼ばれていた。

 終戦までに11型が製造され、755機生産された。桜花で55名が特攻して戦死した。専門に開発され実用化された航空特攻兵器としては世界唯一の存在。

 設計者の三木忠直技術少佐は、戦後に鉄道技術者に転身し、新幹線の設計を行っている。桜花の設計に関与した事を後悔しており、1952年に戦後初めて雑誌「世界の航空機」が桜花の特集記事を掲載する際に三木に証言を依頼したが、「日本の技術者全体の名誉の為にも桜花は我が技術史から抹殺されるべきである」と証言を拒否していた。その後、昭和30年代に世界で最初に音速を突破した航空機となったベル X-1のドキュメンタリー映画を見た三木は、ベル X-1が母機B-29から発射される姿が桜花そのものである事に驚き、特攻機のシステムが、未知の音速突破に挑む機体のシステムの一部となったことに救われた気持ちになったと話している。