ホリショウのあれこれ文筆庫

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第797話 大命降下

序文・天皇が組閣を命じた

                               堀口尚次

 

 大命降下とは、天皇が元老(げんろう)や重臣などの助言に基づき、内閣総理大臣候補者に内閣の組織準備を命じること。

 明治憲法には内閣総理大臣に関する規定はなく、戦前における内閣総理大臣の地位・職名は内閣職権や内閣官制に基づくが、法的にはその任命手続に関する規定はなかった。建前の上では「統治権の総攬(そうらん)者」たる天皇が法的な規定にも臣下の意向にも制約されずに自らの意志で任命権を行使することになっていたが、それでは任命された内閣総理大臣に失策があった場合に、天皇任命責任を追及されることになり、これを回避する必要があった一方、天皇内閣総理大臣を任命するという形式も維持する必要があり、この矛盾を解決するため、試行錯誤の末、次の手続がほぼ確定した。

 辞任や死亡により内閣総理大臣職が空席となった場合、まず、政界事情に通じており、天皇が特別な信任を与えている元勲たち〈のち元老と呼ばれるようになる人々〉に適切な後任を推薦するよう命じる。これを「ご下問(かもん)」と称した。元老は合議してその時々の政治情勢により適切な候補者をひとりに絞りこんで天皇に答申する。天皇自身は一切の検討を加えず意見も付さずにそのまま候補者本人に伝え、内閣総理大臣任命を予告したうえで組閣〈必要な閣僚から就任の承諾を得ること〉を命じる。元老の答申を「奏薦(そうせん)」と呼び、天皇が組閣を命じる行為を「大命降下」と称した

 この大命降下と後継首班奏薦の制度のもと、超然内閣にはじまり、中間内閣を経て、政党内閣と様々な形態の内閣が誕生することになった。しかし元老はその高齢化と死去により次第にその人数を減らし、大正時代のうちには西園寺公望ただ一人となり、その西園寺も昭和には高齢化して新たな後継首班奏薦方式が必要になった。昭和7年には天皇内大臣に諮問し、内大臣は主に首相の前官礼遇者や枢密院議長からなる「重臣」と呼ばれた人々と協議して候補者を絞りこんで奉答する態勢が整えられた〈重心会議。ただし元老の関与が完全になくなることは西園寺の死去までなかった〉。

 因みに、東條英機を推薦したのは、内大臣木戸幸一といわれているが、その東條を内閣総辞職に追い込んだのも木戸なのだ。