ホリショウのあれこれ文筆庫

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第235話 昭和天皇の戦争回想

序文・明治天皇の御製を引用

                               堀口尚次

 

 過日NHKドキュメンタリー番組で「昭和天皇が語る開戦への道」を観た。昭和天皇は、すべての始りは、張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件の首謀者の責任追及を行わなかった事に端を発していたと回想していた。

 張作霖爆殺事件は、昭和3年中華民国奉天近郊で、日本の関東軍奉天軍閥の指導者張作霖を暗殺した事件。関東軍はこの事件を中国の国民革命軍の仕業に見せかけ、それを口実に南満洲に進行し占領しようとしていた。この張作霖爆殺事件は当初から関東軍の参謀・河本大佐の策略であるとの説が有力であり、第二次世界大戦終結後に明らかにされたいくつもの証拠により現在では通説となっているが他説も多い。小川鉄道大臣が事件の後始末にあたり、外務省・陸軍省・関東庁の「特別調査委員会」によって事件の概要が判明し、また現地に派遣された峯憲兵司令官の調査により、事件が河本大作大佐の指揮により行われたことが判明。日本政府は責任を取り田中義一は総理大臣を辞職した。

 張作霖爆殺事件の首謀者とされる河本大作であるが、事件後に関東軍時代の伝手〈コネみたいなもの〉を用いて満鉄の理事、ついで満州炭鉱の理事長に就任できたのも事件への関与が評価されていたと言える。

 昭和天皇は、この軍の出先機関である関東軍の大佐が起こした中国軍閥指導者暗殺事件を、時の総理大臣の辞職で済ませてしまった事が、その後の軍部の独走の引き金を引いてしまったのだと回想していた。

 その後の満州事変・日中戦争支那事変〉へと繋がるのだが、昭和天皇は終始、外交交渉による問題解決を模索していた。しかしながら近衛内閣総辞職により、以前にも増して軍部の戦争強硬派が台頭するようになり、こうした動きを牽制する為にも、木戸内大臣の推挙もあり陸軍大臣だった東條英機に組閣を命じたのだ。これは『虎穴に入らずんば虎子を得づ』という事で、陸軍の中枢にいた東條を内閣に取り込んで、陸軍の暴走を阻止しようともくろんだのだった。こうして御前会議で昭和天皇が引用した、明治天皇の御製(ぎょせい)「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」が戦争反対で平和思想であることから、東條は苦心することになった。昭和天皇は、結局勢いのあった軍統帥部に押し切られる形で戦争へと突入してしまったと回想し、また軍の下剋上を大変に憂慮しており、最期まで心配の種であったと回想していた。

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