ホリショウのあれこれ文筆庫

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第676話 最後の対米抵抗者・小園大佐

序文・軍人としての矜持

                               堀口尚次

 

 厚木航空隊事件は、昭和20年8月15日に、厚木海軍飛行場第三〇二海軍航空隊司令の小園安名大佐が起こした騒乱事件第二次世界大戦での日本の降伏を受け入れず、連合国軍と徹底抗戦する目的で起こされたが、6日後に鎮圧された。

 玉音放送により日本は降伏し終戦し、小園は三〇二空司令官を解かれて横須賀鎮守府付になることが決定していた。しかし、国体不滅を信じていた小園はこのまま日本が降伏すればソ連により皇室は根絶(ねだ)やしにされ、日本は滅亡すると危惧していたうえ、月光〈夜間戦闘機〉の斜銃装備や特攻反対などの提案を却下し、敗北を重ねた末に降伏を決めた海軍上層部への反感を強めていた。そして連合艦隊司令部と全艦隊に「302空は降伏せず、以後指揮下より離脱する」と伝達。部隊に「日本は神国、降伏はない、国体に反するごとき命には絶対服さない」と訓示を行う。翌日から陸海軍、国民などに対して軍用機で各地に『皇軍厳トシテ此処ニアリ』『重臣ノ世迷言ニ惑ワサルルコトナク我等ト共ニ戦へ』などと書かれた檄文を撒き呼びかけて回った。

 海軍大臣米内光政大将、第三航空艦隊司令長官寺岡謹平中将、海軍大佐高松宮宣仁王が説得に当たるが小園は納得しなかった。これにより小園は16日16時を以て解職され、山本栄・第七一航空戦隊司令官が三〇二空司令を兼任した。しかし小園が16日以降持病のマラリアを悪化させて行動不能に陥り、8月21日に軍医により麻酔で眠らされて野比海軍病院へ運ばれて精神病棟で監視下に置かれる。それまでは毎日戦闘機などを飛ばしていた302空は、8月20日に海軍大佐高松宮宣仁王の説得を受けた副長の菅原英雄中佐によって武装解除され、小園が連行された21日に反対者も大半が鎮圧された。飛行長・山田九七郎少佐は、この件の責任を痛感して24日に妻と共に服毒自決した。25日に抗戦派の岩戸良治中尉が出頭し、26日に抗戦派全員が東京警備隊に拘束され、事件は終結した。

 なお、小園がマラリアに罹患したという点について、小園の長男は「マラリアではなく、軍が寝室に秋水〈ロケット局地戦闘機〉の燃料補助剤をまいて錯乱状態にした」と主張している。