序文・恐るべき日本の技術
堀口尚次
秋水(しゅうすい)は、太平洋戦争中に日本陸軍と日本海軍が共同で開発を進めたロケット局地戦闘機である。ドイツ空軍のメッサーシュミットMe163の資料を基に設計を始めたが、試作機で終わった。
正式名称は試製秋水。海軍の略符号はJ8M、陸軍のキ番号はキ200である。「十九試局地戦闘機」と称されることもあるが、昭和18年の兵器名称付与標準の改訂に伴い、昭和19年には年式を冠(かん)称(しょう)した機体開発は行われなくなっていた。計画初期には「Me163」の名で呼ばれていた。
秋水の名称は、岡野勝敏海軍少尉の『秋水〈利剣〉三尺露を払う』という短歌に由来する。昭和19年12月、飛行試験成功後の搭乗員・開発者交えた宴会で横須賀海軍航空隊百里派遣隊から短歌が提出され、満場一致で「Me163」から変更された。この名称は陸軍、海軍の戦闘機の命名規則には沿っていない。
秋水は、昭和20年7月に試験飛行が行われたが失敗〈操縦の犬塚大尉は墜落し殉職した〉、未完成のまま終戦を迎えた。
生産された7機のうち、4機を三菱航空機が、3機を日本飛行機が製造した。試験飛行に供された三菱第201号機は大破、三菱第302号機は終戦直後に焼却処分された。日本軍機の技術調査をすべく生産機のうち3機がアメリカ軍によって接収された。
昭和36年6月、神奈川県横浜市金沢区の日本飛行機杉田工場の拡張工事の際、地中より胴体の一部が発掘された。昭和38年2月より航空自衛隊岐阜基地にて保管されていたが、平成9年11月に三菱重工業へと譲渡され、残された1,611枚の設計図に基づき、平成13年12月に機体が復元された。愛知県豊山町の名古屋航空宇宙システム製作所史料室に展示されたのち、同館の閉鎖に伴い、令和2年2月より名古屋市港区の三菱重工大江工場内にある「大江時計台航空史料室」に展示されている。
過日私は、「大江時計台航空史料室」を訪れ、復元機を確認した。さすがに三菱重工の見学は厳重で、完全予約制で当日も身分証明証持参、マスクに手袋を着用し、館内の撮影は一切禁止で、入口でカメラ・携帯・スマホ等の手荷物も没収された。しかしながら大変貴重な航空歴史資料を無料で拝観できた。