ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第835話 南雲海軍大将の最期の訓示

序文・生きて虜囚の辱めを受けず

                               堀口尚次

 

 南雲忠一(なぐもちゅういち)は、海軍軍人。海兵36期。太平洋戦争初期から中期にかけて第一航空艦隊および第三艦隊〈南雲機動部隊〉司令長官を務めた後、サイパンの戦いで自決。死後一階級特進により、最終階級は海軍大将

 サイパン守備部隊の勇戦に対する天皇から御嘉賞(ごかしょう)の言葉があり、それを南雲に伝える電文をもって陸海の両総長はサイパン放棄による決別の言葉とした。これを読んだ南雲は6日最後の命令である『サイパン守備部隊将兵にあたふる命令』を中央に打電する。午後10時軍令部、連合艦隊などに「之にて連絡止む」と打電し連絡を絶った。

 南雲は、「サイパン全島の皇軍将兵に告ぐ、米鬼進攻を企画してより茲(ここ)に二旬余(にじゅんよ)、在島の皇軍陸海軍の将兵及び軍属は、克(よ)く協力一致善戦敢闘随所に皇軍の面目を発揮し、負託の任を完遂せしことを期せり、然(しか)るに天の時を得ず、地の利を占(し)むる能(あた)はず、人の和を以って今日に及び、今や戦ふに資材なく、攻むるに砲熕(ほうこう)悉(ことごと)く破壊し、戦友相次いで斃(たおれ)る、無念、七生報国を誓ふに、而(しか)も敵の暴虐(ぼうぎゃく)なる進攻依然たり、サイパンの一角を占有すと雖(いえど)も、徒(いたずら)に熾烈(しれつ)なる砲爆撃下に散華するに過ぎず、今や、止まるも死、進むも死、死生命あり、須(すべから)く其の時を得て、帝国男児の真骨頂を発揮するを要す、余は残留諸子と共に、断乎(だんこ)進んで米鬼に一撃を加へ、太平洋の防波堤となりてサイパン島に骨を埋めんとす。戦陣訓に曰く『生きて虜囚の辱を受けず』勇躍全力を尽して従容(しょうよう)として悠久の大義に生きるを悦びとすべし」と訓示を行った。

 約20日間の抗戦の末、サイパン島守備軍は玉砕、南雲も自決した。最期を目撃した第三一軍第四三師団参謀の平櫛孝陸軍中佐によれば、7月6日午後10時ごろ、司令部にて第43師団師団長斎藤義次陸軍中将が中央に、南雲が右、第31軍参謀長井桁敬治陸軍少将が左に正座。日本の方角を向き、割腹と同時にそれぞれの専属副官に後頭部を撃たせた。南雲の最期の言葉は副官の「よろしうございますか」という問いに「どうぞ」だった。

 戦前の南雲は「猛将」として知られ、海軍内では数々の武勇伝が伝えられる人物だった。一方で、親思いで上野駅に到着した母を海軍中佐の軍服のまま背負って歩いた。