ホリショウのあれこれ文筆庫

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第836話 憲政の常道

序文・総辞職と衆議院議員総選挙

                               堀口尚次

 

 憲政の常道とは、大日本帝国憲法下の日本において一時期運用されていた、政党政治における政界の慣例のこと。

 「天皇による内閣総理大臣や各国務大臣の任命〈大命降下〉において、衆議院での第一党となった政党党首内閣総理大臣とし組閣がなされるべきこと。また、その内閣が失政によって倒れたときは、組閣の命令は野党第一党の党首に下されるべきこと。そして政権交代の前か後には衆議院議員総選挙があり、国民が選択する機会が与えられること。」とするもの。あくまで慣例であり、法的拘束力はなかったという説と慣例として認められた「憲法習律」であるとする説に分かれている。

 「憲政の常道」とはもともと第一次護憲運動の際に用いられたスローガンであり、この時には主としてイギリス流議院内閣制のことを指していた。一方、原敬(たかし)は首相在任期に衆議院多数派と貴族院の多数派が相互に提携しながら交互に政権を担うことが憲政の常道であると語ったとされ、憲政常道論には諸説があった。

 しかし一般に「憲政の常道」とは加藤高明内閣の成立から犬養毅内閣の崩壊までにかけて確立されていた政党政治の慣例のことを指す。加藤内閣は大正14年に公約の男子普通選挙を法定し、貴族院改革にも着手したが、伯爵・子爵・男爵の貴族院互選議員を若干減員し、帝国学士院会員からの選出議員を新設し、多額納税議員を若干増員する改革にとどまり、世論の要求する抜本的な改革とはならなかった。

 しかしこの内閣の成立がきっかけとなり、「民意は衆議院議員総選挙を通して反映されるのであるから、衆議院の第一党が与党となって内閣を組閣すべきである。また、内閣が失敗して総辞職におよんだ場合、そのまま与党から代わりの内閣が登場すれば、それは民意を受けた内閣ではない。それならば、直近の選挙時に立ち返り、次席与党たる第一野党が政権を担当すべきである」という原理にもとづいて、元老による内閣首班の推薦がおこなわれるようになった。これが憲政の常道である。